母のワークの峠を越えて・・・

ここ2ヶ月半、毎晩のように母のワークをした。
そのワークの峠を越えました。

左胸部の深刻な状態も納まった。
喉の甲状腺の心配もない。
その他いくつもの点が処理できた。

地道に時間をかけてひとつひとつ状態を変えた。
その限りない繰り返しの2ヶ月を超える日々だった。

私は体の使い方について母の自主性を重んじていた。
習いたいのなら自分からその指導を願い出るべきだ。
だがそうもいっておられない状況だったから伝えた。

母は体の使い方を覚えてきた。
そして頭ではなく体が少しずつ身についてきた。

私は身内のケアをしたい気持ちを持ち続けワークに取り組んできた。
その思いが形になった。

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私事で恐縮だが。。。

父親が椎間板ヘルニアで自殺をしています。
20年を超える昔の話です。
父が左官業の職業病で椎間板ヘルニアに。
そのときに自分は整体院や病院の情報を
かき集めるしかすることができなかった。
ボディワークの名前も知られない昔です。
私は警備員のバイトでお金を稼いでくることくらいしかできなかった。
その結果が、
父の経済的負担を家族にいつまでも与えたくない気持ちに。
朝、私は父が味噌汁を作ってくれた。
「いってきます」といってでかけた。
そして「いってこい、がんばってな」といってくれた。
・・・
昼ごろに義兄から父が亡くなったことを電話で聞いた。
それからの数年間、記憶はあまりない。
切り替えの悪い性質だったから。
自分に父の不安をぬぐえる力がないつらさを、
イヤというほど思い知った。

だから今回の母のワークでは、
すばらしい経験をさせていただいた。

『身内の体に何かが起きた場合には、
自分が動くことができるような力がほしい』
その気持ちを持ち続けている。
だからそのときがきたときに「使えるものか使えないものか」、
それだけがさまざまあるワークテクニックを学ぶときに、
どれだけの時間をかけるか費用をかけるかの基準だった。
それが実ったような気がした。

父への思いがあり、
身内をケアできたことがうれしかった。

始めて自分で自分をほめたい気持ちになった。
いい意味で張り詰め続けた肩の力が抜けた。

自分の中で『次のステップ』に進むことが許されたような、
そのような自信を持つことができた。