身体能力にも優れた友達たち---2

そのようなものに実際に会い話を聞き、
自分との異質感を肌で感じるとき。
短時間でも得られるものは大きい。

私が1日かけて体が使えるとどう変わるかを言葉で解説するより、
10分会って解っていただければ話が早いだろう。

そのような方々は謙虚であり、
自分の能力をひけらかさない。
お調子者でしたら皆さんに紹介できるのですが。

だが
そのような能力を持つ方も、
悩み苦しみ生活をしている。

神経が繊細で眼力が深遠な分、
僕などには感じ得ないほどの人生への葛藤を感じ続けているはず。
苦渋の表情をするときもある。

彼らは普通に生活をするには既に多くのものを得ている。
だが常に自分の人生を追求し、
自分の深部を見つめ続けている。
美しい面もそしてその大逆も観ている。
美しい面だけを見れば楽に生きられるが、
虚飾を嫌い現実的な目を持ち続けている。

そういうものに限って、
厳しい局面に身を置き問題を打開し続ける様子が伺える。
常に自分が成長し続けることを、
受け入れ続けて前へ進んでいく。

『この思考スタイルをもっていたから、
彼らはここまでの身体能力を極められたのだろう・・・』
そう思った。

そんなとき「体の使い方を極めれば思考スタイルも変わっていく」、
という言葉は説得力を失うだろう。
そう感じてならない。

彼らの体の能力を研究すると同時に
彼らの持つ人生に対しての取り組み方を、
私なりに学ばなければならないと感じる。