『気づくこと』の楽しみ

気づきを得るということは、
今までそれについて気づいていなかったことに気づくということです。


『気づきをえる』ということは、
上段に構える姿勢ではありません。
謙虚な気持ちで『私は気づいていないことがある』、
そう考える人に舞い降ります。


この言葉を胸に刻み続けることは難しいものです。


知らないことを認めることはプライドを失うことと感じる。
知らないことを認めると先生や教師としての威厳を損なう。
年齢が年齢だから知らないということをいうのはみっともない。


日頃ふんぞりかえるのはいいことありませんよね。^^1
成長がそこまでなのではと観られているわけですから。


気づきが多い人は豊かさを培っていきます。
それは確かですよね。

『知識・知恵』という水によく浸りなじみます。
成長が止まらず謙虚でいられます。
私の尊敬できる方々です。
もし今が真っ白なキャンバス状態でも、
次第に豊かな絵が描かれていきます。


ワーカーが、
『気づきが大切なんですよ』というとき。


合わせて、
『自分が気づいていないものがあることを受け入れてください』という意味が含まれています。
直接言葉でそういうと角が立つこともありましたので、
たいていは「自らの気づきが大切です」と繰り返すにとどめますが。



自分しか何を気づいていないか知らない。
そして何を求めているか知らないのです。

気づきの姿勢をわかっている方は成長が著しいようです。
どこまでを人から教えてもらえばいいか。
どこからが自分で気づき創造していくか。
このバランス感覚もすばらしいのです!


いくら良い教えをいただいても、
最終的には自分が気づかなければ意味がない。
逆に粗悪な教えをいただいても、
気づく姿勢があればそれなりになにからも気づける。


いい加減にみえるかもしれません。
ですがニュートン万有引力発見と同様ですよね。
真剣に気づきを求める姿勢があれば十分。
日頃からよく学び観察することなしに、
気づきはうまれません。
少しのヒントで過去に頭へたたき込んだ知識が触媒されて
『あっ。そうか!』となります。


自分が気づいていなかったものを見つける楽しみ。
知的な創作活動はよい姿勢から始まるのでしょう。