『自強不息』を読むと、
王樹金老師は晩年左脚部が癌に犯されました。
選択肢として左脚を外科手術により切断する。
そうすれば癌の進行が遅くなることで、
余命が伸びるのです。
しかし王樹金老師は、
それを良しとなされなかったそうです。
親からいただいた体を傷つけることを、
深く憂いての事だそうです。
それは著者の河野先生が若いころ手づかみで寿司を食べたときに、
王老師に教えをいただいたそうです。
「親が箸を使っている。お前はそういうことをしてはいけない」
とおっしゃられたそうです。
江戸前の寿司は手で食べるものなんだから〜、
といっても王老師には通じません。
目の前で親が箸で食べているんだから、
お前もそうするのが当然ではないか。
そして著者河野先生の親が息子の好きなものばかりを、
もうおなかいっぱいだからこれを食べてと差し出したとき。
王老師は、
「親は子供に嘘をついてまで食べさせてあげたいものなのだよ、
そのありがたい気持ちを感謝して、それは返しなさい」
とのようにおっしゃります。
親に対しての敬愛の念が、
日本の若者にはわからないほど深いように感じました。
親に対しての感謝と尊敬の念を持ち続けることが、
どれほど人を謙虚で豊かな恵み深いものにしてくれるでしょう。
大切な左足を切断することで、
親が悲しむのではないだろうか。
そうお考えになったのかもしれません。
癌により死期を早めないようにするために、
弟子が懇願してもお聞き入れしていただけなかったそうです。
人それぞれ考え方があり、
そこに正解はありません。
ただ親への思いを通した、
その純粋な気持ちに心うたれます。
おそらくその親への思いは、
深くご先祖様まで至っておられると思います。
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体を傷つけてはいけない。
親が悲しむから。
中国拳法の激しい修練がもとで、
体を壊すことはあります。
ですが明日の修行の上で自分が悟り大きくなる姿があっての事。
成長していく過程なのです。
それは親を悲しませたいのではなく、
親や一族の徳を深める善行につながるのです。
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130回芥川賞を受賞した金原ひとみ著書の『蛇にピアス』。
体を傷つけることで生の実感を得ようとする若者を描いている。
または『悲鳴をあげる身体』(著者:鷲田 清一 /PHP出版)をちらりと読むと、
ピアシング、拒食・過食、あるいは性。
本来なら、ひとを癒し快くする行為が、
身体への攻撃として現象している今。
という。。。
親からいただいた大切な肉体。
親は決して子の苦しむ顔は見たくないはずです。
ご先祖様もそうでしょう。
『そのような考え方がすっぽりと抜けているのが今の若者たちだよ』
そういうようになってしまったのでしょうか?
王老師が河野先生に、
『親が悲しむから自分の体を苦しめてはいけないよ。
大切にしなさいよ』
と教えているときに、
親の慈愛に満ちた顔が、
王老師には正面から見えておられるのでしょう。
だから考え方が真実になっていき、
その教えがのちのちにまで心に残り響いたいくのです。
自分を成長させてくれるように導いてくれるはず。
癌に際しても貫き通した壮絶な親への感謝の思いと、
その思いを見失ったという日本の若者たちの本を同時期に読んでしまって。
あまりにもその高低がきつく感じられました。
自分の体の内側を引き裂かれていくような、
深い悲しみと矛盾を感じました。
親を悲しませたくないから、
私は体を大切にするんです。
親を安心させたいから、
仕事も頑張るんです。
そのように口から思いが出てくるようになりたい。
そう思うように心がけたい。
私の父親はすでに他界しております。
草葉の陰からしっかり見ていることでしょう。
そう考えると気が引き締まりますね。^^;