物理がよくできるかどうかには、
センスというものがあります。
センスって?
問題に関係する扱う対象の意味がわかることかもしれません。
私の高校での知り合いに物理は好きだが、
勉強は嫌いというものがいました。
物理学の公式の載っている教科書は読まない。
極々平易な薄い物理の本を好きで読んでいて、
それしか読んだこともないといいます。
それなのに試験になると物理の点数はトップ。
不思議に思えるのですが、
モノの意味やイメージを描き、
問われている問題との関連性を考えるだけ。
すると公式通りの式を書き、
答えが自然に出てくるだけ。
彼には『モノの理』が腑に落ちている。
彼は頭の中で、
物理の公式を生み出している。
人にそれを聞かなくても、
『おそらくそうなるはずだ』
と感じたまま式を書いてみると正解。
本人もその正解は当然のことと受け止めている。
彼ほどのモノの理を鋭利な視線で見渡せば、
雑然とした枝葉のような考えは浮かばずに、
ただひたすら解を求めることができるはず。
通常は公式というものを学んで、
それを使いこなそうと躍起になるわけです。
公式を知っていてもその使い方が応用問題になるとわからなくなる。
枝葉で簡単につまずくのです。
公式を覚えて身につける事も大切です。
ですが物理好きの彼のセンスが必要。
そのものの意味や内容がわかれば、
モノを整理して関連づけて公式化可能。
すると自在に使いこなせるようになる。
これが『身についた』ということなのかもしれません。
そしてここから深いトレーニングができるのでしょう。
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なんで私がこんなことを言っているのかといいますと。
ボディワーク屋さんにも、
体の理を一つ一つ深く探求していて、
ある種の公式を持っている先生がいるということです。
そしてその公式を自在に使いこなしている。
すると即興で何が正しいかという答えが出てくる。
後ほどその答えが正しいかどうか再検証すると、
その即興の閃きが理に適っている。
ときとして手技テキストのミスも、
見た瞬間真似できる。
ポイントを逃さずに、
ともすると既にオリジナルなアレンジも入れている。
改善が施されている。
その様子をみると、
まさに物理好きだった友達のことを思い出します。
そこまで至ったときまさに天職と感じるのでしょうね。
いかにも楽しそう。