子供のときの親の承認力

子供のとき与えられた親からの愛情。
これを存分に受けてきた人は幸いです。


幼少期に親に十分受け入れられて承認されてきた。
その承認は打算のない愛情から生まれたものである。
親のエゴなどがからんだご都合からの愛ではなく、
もっともっと深い繋がりを感じられた。


すると100人が反対しても、
自分は自分。
人の顔色を見て左右されない。
そんな人間となれるという。


親に自分は深く受け入れられている。
承認されている。
だからそれで十分。


だが親からの愛情、承認を感じ取ることができなかったとき。
どうしても自分のことを他の人から承認してもらいたくなる。
他の人の顔色を伺ってしまう。
親から受けられなかった承認を、
他人にしてもらうためだ。


人に気にいられようと努力するのはいい。
だがそれが度が過ぎると自分が本当にしたいことができなくなる。
他人に自分の重要性をどうにか解ってもらいたい。
そんな欲求が潜在的に強くなる。
そしてそのように仕向ける行動をとる。


他人の顔色を気にしすぎて、
自分の胸の内に強いストレスを蓄積する。
他人の目を気にして自分のやりたいことができない。
すると自分の中にある可能性の芽を積んでいるので、
生活していても気持ちよさが弱くなる。
いつしか自分が判断して選択すべき問題さえも、
他人の顔色を伺い出してしまう。


これは自分の心が分裂していくことを示す。
引き裂かれていくことで、
苦しくなっていく。
本当は心が安定した心地よさや快感を求めているのに。


他人の顔色を気にし出せば、
他人の思いが自分の希望以上に優先される。
自分で選びたい選択結果は存在しなくなる。
自分の人生に無力感を感じだしてしまう。
選択の自由を得ることは生命力を増加させる。


もし自分が人の顔色を気にして人の機嫌を取ろうとしているとき。
そう切ないほど必死になっているとき。
誰かに承認してもらえるようにがんばるより、
むしろ自分で自分を承認してあげたほうがいい。
自分自身の機嫌をとってあげるように、
自分にむかってやさしい言葉をかけてみよう。
『承認ワード』を雨あられ雪崩のごとく、
自分に降り注ごう。
周りのモノや人を積極的に承認していこう。
そして自分を自然に承認してくれるサイクルを作ろう。


心が安定して心地よさを感じ取るときに、
心と体のバランスは相乗して改善へと向かうでしょう。