体の神秘的な機能や生理的な事象。
それを畏敬することは正しいと思う。
だけどあまりにもそれが深遠で膨大に感じられる。
するとある程度理解ができるまでには、
楽しさ以前にネガティブな感情が起きる。
『自分にはわからないことばかりだ』
と思い萎縮してしまう。
そんなときには体の神秘性などという言葉は敬遠した方がいい。
『体にはね、面白いからくりがあるんだよ』
そういってしまえばいい。
すると高速回転して脳裏に集めたネガティブな記憶の創造から離れられる。
からくり人形を観るとき、
不思議だなぁって思う。
そしてからくり人形の動力源やカムなどを追っていく。
すると意外に規則的で既知の知識を応用したシンプルな面がある。
その既知の知識の寄せ集まりが複雑なシステムになっているだけ。
そんなからくりの中を興味深く観察。
合気道や中国武術にも、
いくつもの体と心の使い方やとらえ方のからくりがあります。
神秘と考えると不思議と思考がそこで止まり壁ができます。
そのときは簡単に「からくり」という言葉で捉えるといい。
『それってどんなからくりだい?!』って探究心がむき出しになる。
私はわからないことがでてくると、
この言葉が自然にでてきるよう習慣づけた。
問題へ意識を投入する言葉なのです。
体を知るということは神秘の追求とも言えます。
ですが体のからくりっていうものを楽しむ道楽でもあるんです。
肩の力をときどき抜いて、
子供のようにからくり探求を楽しむといい。
体のからくりを追求すれば、
体の不具合を理解するのにも役立つ。
不具合になったからくりの理由が納得できる。
すると理知的に改善方法を脳が自然に得ようとする。
腰痛とか肩こりとか。。。
その他いろいろなものから、
自分の身体的な悩みから解放してくれることに役立ちます。
人体の中のからくりを見つけたり、
人体を活用するためのからくりを造り出したり。
からくり意識で追求している人に人体の仕組みを講義されると、
ついつい面白くて引き釣り込まれること請け合いです。