ワークデモを観る効用

ワーク受付再開に際して。


現在15名の方からお問い合わせおよびお申し込みをいただきました。
誠にありがとうございます。


心より御礼申し上げます。

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後日、簡単なデモを見ていただくようなことを企画したいと思います。


『ワークってどんなことをしているのだろうか?』
そのような疑問に応えていくことができればと考えています。
ワークの様子を観ることは、
ワークを受けるときに意外なほど役立つ。


それはなぜかというとワークを受けていると、
自分の体が柔らかくされても体内の血流が促進されるため
頭がぼーっとしてしまう。
すると、、、
客観的にも主観的にも自分の体の移り変わりに対しての印象が多少薄くなる。


それが客観的にワークデモをされている様子を見る。
そして柔軟になっていく様子を手で触れさせてもらうことで、
『自分の脳の意識層に体は柔らかく変れるもの』
というシンプルな事実が受け入れることができるようになる。


これは自分の脳が肯定的に体の変化を受け入れることに役立つようだ。


個人個人、体の様態も様々ですから、
一人のデモが他の人にも共通する参考事項だとは言えないかもしれません。
ですが不思議と
『へぇ〜。思ったよりも簡単に柔らかくなるのが人の体なんだ』
と感動した経験を持つと、
自分もそう変れるんじゃないかなって信じられる。


実は腕のよい施術家のもとで修行すると、
その場の勢いや空気というものが出てくる。
「治るのが当然じゃないの?」
と見学者が頭の中の潜在意識にしっかりインプットする。


するとスムースに事が運び出す善転回が生まれてくる。




人は意識以前の潜在意識の思いにより作用されているところが、
如何に多いものか。
そのことを痛感させられるケースを観てきました。


潜在意識で「治るのが当然じゃないの」と思うからこそ、
大切な事ができるのです。


長年続けてきた歩き方や立ち方、姿勢を『捨ててしまえる』のです。
そしてそれを手放したときに体を壊さない体の使い方が見えてくる。
そしてそれに伴い筋肉のしこりも捨てられるのです。


捨てるときに心理的にも神経的にも肉体的にも大きな、
大きな、非常に大きな抵抗をするものです。
愛着のある自分の体の使い方やしこりを受け入れている。
それは気づかないうちに最大の愛情を注いで作り上げたのですから、
それを手放すことはときには我が身を切られるほどのつらさです。
このつらさが嫌で昔の体の使い方やしこりをまた付けてしまう。
そしてついてしまうと痛みがでたり不快になりどうにかしようとする。
それをだらだらと繰り返してしまうのです。
つらいことですがそのようなことは大なり小なり、
みんなそういうことがあることではあるのですが。


捨てずにとっておけば部屋が散らかって、
得体の知れないものになってしまうのです。


それが、
「治るのが当然じゃないの」といって、
いいヴィジョンをしっかり観て感情にその時の景色をインプットする。




無理やり描くプラス思考はにんまりと余裕を持った顔ができない。
それでは脳波が安定した深いレベルに達することはない。
だから別に無理やりプラス思考をとる必要もなくて、
数多く治る現場を観ればそれだけで十分。
にんまりと「だって治るのは当然だよね」、
そう思えたとき緊張の糸がぷっつり切れて、
雪崩のように自分の体も緩んでくるようだ。


すると上記のだらだらと繰り返すようなことが、
大幅に減るのです。
ときとして人変る姿を観るだけで自分が治った気にもなれるし、
本当に自分の体も改善されていくという現象も起こり出す。


整理して捨てるものは捨ててしまうこと。
それが思いっきりよくできるようになる。
それには自分の潜在意識のクリーニング。
不安感やゴミゴミ感をなくしてすっきり整理しよう。
捨てたものや整理整頓したものの後にスペースができて、
そこに初めて貴重なスペースを活かすものをおけばいい。


そのような、
貴重なスペースに
『治って当然・変わって当然』という心理面での余裕を据え置きたい。
技術的な理論面は解らなくてもいい。
変化を抵抗なく受けとることができますよ、
っていう若い柔軟な感性を子供のように取り戻して欲しい。
それで十分。

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このたびお問い合わせをいただいた方には
鍼灸の専門学校にお通いの方がおられました。


こちらの日記をご覧いただいて
一回ワークを受けてみたいとおっしゃっていただきました。
岩手県盛岡市という東京からは非常に遠距離。
それに専門学校に通っておられるということは、
勝手に想像すると金銭的にも大変なはずです。


僕が整体の専門学校に通ったときシンドカッタ。
勝手に他の人も苦しいと思い込んでます。^-^;


客観的にそういうようなシーンを共有できれば素敵なことだと思います。


僕もずっと昔、
とある先生のすばらしい技を目の当たりに見せていただいたことがあります。
それが脳裏に焼きついている。
それを見たための後の取り組み方の違いが生まれたと思う。


ただ見習う心というものがあるかどうかがあってこそ活きるものです。
そういう熱心さのある人、好きだなぁ。個人的に。


(仕事で徹夜2日目でして眠くて文法やら同じことを
繰り返し言っているような感じでごめんなさい、後日いろいろ削ります。m__m;)