神(=神経)とともに生きること。

『神経』って神様の『神』という文字が使われていますよね。
神様の通るといってよいほど大切なものなの。
私はそう信じています。


神経は使われなくなると徐々にエネルギーセーブのため退化してしまう。
神経が働くには多くの血液と電気的なエネルギーが必要だからです。
使わなければセーブしてエネルギーロスを低減させるというのが、
少ないエネルギーを有効に利用するための仕組まれた手法です。
それは筋肉を使わないと落ちていくのと同じ現象ですね。


困ったことなのですが、
神経という神様の経路が細く頼りない小道になることがある。
または神様が通れなくなることもあるほどです。


自分では体内の神経が正常に働いているとしか思えません。
ですが正常とは言えない状態が内在されている。
そういうことがとても多くあるのです。


神様(=神経)が常に気をかけてくださることで、
人は生命力強く生きることができる。
それは真実だと思います。


ある神経が自分が気づかないうちにセンサー機能が果たせない状況になった。
たとえばその部分に意識を向けることがなくなったから。
または逆にその部分に意識を向け過ぎてしまい反動がおきて。
そういう意識の働きの問題もあります。
または体内に出来あがった炎症部分。
その炎症部分を気づかせないために、
神経が働きを徐々に鈍らせていく。
血流異常がそこで生じて神経への栄養素を減少させる。
それにより鈍らされている。


その影響がどこに派生していくだろうか。
その派生経路や生じる現象を知る人は少ない。


私もその意味を深く勉強するにあたり、
腰が抜けるほど驚きました。
神経の目を摘んでしまう(=神経の麻痺)ことの隠された意味。


おそらくその内容を知れば、
私と同様に驚きを隠せないでしょう。


神(=神経)とともに生きること。
神(=神経)に見捨てられると、
病気になりやすい。
脳の潜在している力が活きない。


自分の今は、
感覚器官が神経を通して感じている世界がすべてです。
ですが現実に今感じていない世界がときどき存在する。


自分の体のなかにある神様の経路。
その道を通りやすく舗装していく。


そこからいったい何が生じるのか。
目からうろこがはがれる人が増えて欲しい。


そう願う今日この頃です。