掃除についての取り留めない話


掃除道の鍵山秀三郎氏。
イエローキャップの会長。
会社起業当時から掃除を丁寧にしていました。


掃除業者などに任せず自分の手で掃除をしました。


掃除は社長がやるものではないとされます。
掃除をする暇があるなら仕事のひとつでもとってきたり、
企画のひとつでも考えるのが仕事だと言われるでしょう。
社長が掃除をしても一銭も営業利益があがりません。
だから社長は掃除をすべきではない。


よくできた社員ならば、
「そのようなことは私がやるからあなたはあなたの仕事をしてください」
というでしょう。


ボディワイズでは関根に私がそのように言われました。^-^;
確かに今後の行く末を決める企画を考えている最中に、
それを放り出して玄関の掃き掃除や壁を磨きはじめる。
あきれられるのも当然だと思います。


掃除を丁寧にしてみるようになって気づいたのですが、
掃除をすると目線を汚れまで近づけて観るようにして、
とても多くのことに気づきはじめるのです。
同時に生活に根付いている充実感がある。


鍵山氏の掃除道で
「掃除をするとよく気づく人になる」という言葉があります。


生活から遊離した夢を追うのではなく、
汚れを人が見て気持ちがすさまないようにする。
その積み重ねが鍵山氏の偉大さです。


関根には
「私は暇だから気分転換に掃除をしている訳ではない。
私は今までの自分で足りなかったものを見つけられた。
その大切なもののひとつが掃除や整理整頓なんだ」
といいました。


しばらく必死な顔をして拭き掃除をしている私を見て、
只事ではない雰囲気を感じ取られたことでしょう。


掃除をして身の回りを美しく機能的にする。
それが、
生活を楽しむ事にもなるし、
同時に仕事をしやすくもする。


仕事だけ機能的にしようとしても、
バランスの悪いいびつな価値観があるだけ。
そう感じることができるようになりました。


仕事に追われて追い詰められていた気持ちが、
ほころんできました。
同時にモノを美しく整えようとする習慣が根付く。
仕事への審美眼やこだわりを育ませてくれました。


だから掃除は、
仕事と同様か仕事以上に大切なものです。
そう考えて取り組むべきなんだと思います。
まだ掃除内容が工夫足らずで行き届かないところはありますが、
今後、仕事同様に掃除の技術を身につけていきたいと思います。



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掃除とは生活の一部。
そう胸に刻み込ませてくれるテレビが放映されていた。


たまたまドキュメンタリーテレビを観ていたとき。
新潟県中越地方地震情報山古志村
住まわれていたおばあさんがおられました。
現在、仮設住宅に住まわれています。
たまたまドキュメンタリー取材をしにいった取材班がそのおばあさんに遭遇。
おばあさんが人懐っこく自宅に招き入れ、
心ばかりの振る舞いをしてくれました。
自分一人だけの生活仮設住宅での生活。
明るく笑顔が印象的な女性です。
その部屋には生活感があふれ、
新年を向かえるため雑煮を造ります。


右膝が痛くて杖をついている。
でも気丈な事にそのまま動かなくなると、
自分は気力がなくなるからと仲のよい友達のところ通う。
一生懸命杖をつきながら寒い雪の中を歩いていく。
それを日課としています。
とても気丈な反面、
心労からか睡眠薬を服用しています。


このおばあさんの、
明るく屈託のない笑い声から生きる意味を教えていただきました。
こまめに掃き掃除をして仏壇を掃除をして、
小さなちゃぶ台でお茶をいれて一休みする。
小さな仮設住宅です。
4畳半あるかどうか。
でも掃除を毎日欠かさないそうです。


絞った雑巾で綺麗に拭く。
それが毎日の筋肉をくまなく使う全身運動です。
そして綺麗になる事で達成感を得られます。


掃除をしなければ体を使う事も少なくなり、
生活圏が汚れていく。
生活を律するため
部屋を綺麗にする。


『生活』という言葉が、
僕はこのテレビの中のおばあさんを観ていて、
痛いほど伝わってきました。
立派に映って見えました。


自分も生活を律するという、
生きるための儀式を大切にしたい。


仕事に邁進するあまりにそのような
大切なものを評価できなくなっていた。


僕がもし独り暮らし状態で老後を暮らすなら
このおばあさんのように生きたい。


仕事も大切ですが、
生活の方がもっと大事。
そんな当たり前の事の発見に感動しています。
そんな自分に滑稽さを感じています。