神からの贈り物

『神からの贈り物』

      • -

ある物語。


未曽有の水害で町は水に沈もうとしていた。
そのとき救助を待つ敬虔なキリスト教徒の男がいた。


そして救援隊がゴムボートで助けに来た。
だが男は救援を丁重に断った。
『神がきっと助けに来てくれる。
私はそれを待つと決めています』
救援隊は仕方なく次の救助に向かった。
それから首まで水が迫ってきたとき。
男性がつかまるにはちょうど良い材木が流れてきた。
だがそれも男はつかまることなく、
神の救済を待った。
そして溺れ死んでしまった。


男が天国で神にあった。
そして男はいった。
『神様。ひどいじゃないですか。
私はあなたを心から信仰してきました。
だからあなたは私を助けてくださると思っていたのに』
すると神がいった。
『私はまず救援隊をお前に向けた。
それなのにお前は断ってしまった。
しかたなくお前の身を浮かせるための材木を流し与えた。
だがそれも断ってしまった。
お前はモーセのときのように
私が水を真っ二つに割かれることを期待していたのか?』
そういわれて男は絶句しました。

      • -


たいていの場合、
神は巨大な奇跡を示すことはありません。
でも日常生活で頑張っているものに、
イムリーな救いの手をさしのべてくれる。


それを受け取ることができるかどうかが問題。


巨大な奇跡を示してくれることを信じてしまい、
気づいたら素直に神の助けを受け入れられずに、
取り返しのつかないことになっていた。


あとで考えるとこういうことってあるものですよね。


神は私たちの目の前に多くの救いの手をさしのべている。
私はキリスト教徒ではないですが、
そういうもののように感じます。


目の前にあるものをよく観察してみる。
そして神の助けを選択して受け入れる。
多くの救援ボートや身を救う板切れは、
しっかり流れてきている。
それをタイミングよくつかみ取る。


そういう救いが日常生活の中にそれとなくある。
そんな気がしています。


だから目の前にある本や物。
人とのご縁。
その他私の周りの環境全て。
それにワークテクニックを発想するときもそう。
神の使いとして有り難く感じることがあります。