(かなりおこがましいタイトルでごめんなさい)
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5つのレベルに分けられた医者。
紀元前約3000年ころの中国では、
精神アンバランスから身体の基本的な病まで、
次の5つのレベルに分類しました。
■聖人:最高位の医者。
精神を治療する能力があるほか、将来に向けて正しい道を説くことができた。
■食医:食事治療を行った。
■疾医(内科):漢方治療、鍼、指圧、マッサージ、灸などによる治療を行った。
■瘍医(外科医):皮膚の化膿症や骨折を治す医者。
■獣医
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『やさしい中医学の百科』より
『聖人』が最高位の医者だった。
合理的なセンスに富んだ中国人が、
古来から精神を治す能力を重んじたことは興味深い。
それだけ至りがたいものであることを示していると思う。
私も心のプログラムについて興味を持っています。
ですが今はこれを利用しての仕事をしていません。
最高位のものを自習するのはいいでしょう。
ですがそれ以前のレベルをひとつでもふたつでも自分のものにすること。
そう至らなければ私はそちらへのステップアップには躊躇します。
聖人以前のレベルのものを確実に学びとることが、
最高位を身につける通過儀礼だと思う。
『至るためには過程を学び経験せよ。』という声が静かに聞こえます。
だから知人の複数の治療師さまに、
『心の方を鈴木君も少しはわかるんだからもっと使ったら?』
『鈴木君、体ぼろぼろになってるから、そろそろ頭を使えば』
と勧めていただいてもマイペースに進んでいるのでしょう。
でも『要領の悪さも私の個性』なのです。
自分のなかで感じる理屈があり、
悔しいかな曲げられない。^-^;
ただ要領の悪さという人のやらないような道を進むとき、
他の人に気づくことのないものが見えてくると思います。
しっかりと今行っていることを修め
(とりあえず自分で納得できるまで)
それから次のレベルに進むことができればと願います。
でもこれはまったく個人的な考え方でして、
他の先生が心理的なワークを利用して治療することを否定しません。
とても優れた成果を引きだしておられる先生方も数多くおられます。
紀元前約3000年前の中国で、
『この人は聖人だ』と惜しげなく評されるような人物へ進む道。
そういう修行として心の治療師を捉える。
そう考えると身が引き締まる思いがします。
自他の精神を共に向上させるのが聖人なのでしょうね。
面白いですね。