エッジを乗り越える技=プロセスワーク

プロセスワーク』。
聞いたことある人もいるのでは?
アーノルド・ミンデルというサイコセラピストにより創られました。
プロセス指向心理学研究所を創立させ
セミナーやワークショップも世界各国で多く開催されている。


乗り越えるべき問題がある。
そのときに様々なチャンネルを通して、
その問題を認識させるように自らに働きかけてくる。


夢。
病気。
現実世界。
など多様な表出チャンネルを通して、
問題を受け入れるよう迫ってくるという。



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例えば...
夢で自分にとって嫌でしょうがないことが起こった。
自分が一人で静かな部屋の中で瞑想をしている。
すると家族のものがずかずかと邪魔しに入ってくる。
奥さんが『あなた何そんなことばかりしているの?』
そう非難してくる。
自分はイライラとして機嫌が悪くなる。


しばらくこのような夢を見つづけたとする。
すると次に身体に膀胱炎らしきものが浮かび上がってきた。
頻尿のような症状も出てきた。
常にトイレに行かなければならないという切迫感を感じる。


そしてまたしばらくすると新たな現実世界での変化が生じた。
町中でとても嫌みで気に食わない堅物の男を見かけた。
それも一人二人ではなく頻繁に現れる。


そしてあるときこの男は瞑想を部屋の中でおこなう。
このときに自分が気になってしょうがないものから、
何かを学びとろうとした。
自分が見るに耐えない家族の振る舞いに意識を集中する。
頻尿や膀胱炎という耐えがたい身体感覚から目を背けない。
現実に目の前に現れる次々現れる高圧的で嫌な男達を観る。


そうしていると体内の膀胱がまるで破裂しそうなまでに大きくなる。
トイレに行きたい・・・だが必死に我慢をする。
極限まで耐えたとき膀胱が赤い球となり大きくなりはじけとんだ。
そのようなビジョンを受け入れたとき何かが変わったという。


今までの自分が家族に対して高圧的な態度をとっていた。
自分はいい夫であり父親でありたい。
そのために自分は完璧にその自分が考える夫像や父親像を演じようとした。
だが本当はもっと気楽に妻や子供と打ち解けたい。
そういう自分がいることに気づけなかった。。。


そして瞑想中に膀胱が破裂したビジョンを受け取る。
完璧な私であらねばならないという意識に凝り固まり、
潜在的な家族との調和を大切にしたい意識を覆い隠す。
だがその覆い隠された内側がちらちらと外側の意識に
顔を現しては消し現しては消し。。。
という状態が続いていた。
現れ方は夢から徐々に現実的な世界に移行していく。


夢や疾患などの身体的影響や現実界での対人関係。
それは徐々にエスカレートして自分に訴えかける。


だが『裏に隠されていたメッセージを受け取る』と、
そのすべての訴えかけは忽然と消え失せる。


身体的影響はすぐに消えるものではないが、
膀胱炎の痙攣がおさまりだす。
時期に治癒へと向かうのかもしれない。


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これがプロセスワークワンシーン。
面白いですね。


『自分は優しい』という一次プロセスの思い込みがある。
だが日頃対人関係で辛い思いなどすれば、
『嫌だ!自分は冷たく厳しい人間でありたい』という
二次プロセスの自分が生まれる。
たいていこの「自分は優しい」という思い込みからより現実を直視して
『自分は冷たく厳しい人間でありたい』と認識できるまで距離がある。
切り離された存在といっても良い。
その切り離された切り口を「エッジ」と呼びます。


エッジを乗り越えて隠れたメッセージを受け入れやすくする。
それがプロセスワーク。


エッジを乗り越えられないでいるとき。
心や肉体へ痛みや不快感、不安感、怒りや憤りを与え続ける。
二次プロセスを受け入れるための産みの苦しみ。
そこで二次プロセスのメッセージを受け入れた。
自分も潜在的にその二次プロセスを受け入れたがっていた。。。
だから感動とともに自分の考えがチェンジして
心と身体は満たされた実感がある。


数多くのエッジを乗り越える私たちは旅をする。
ずっと終わりのない旅を続けている。
ひとつのメッセージを受け入れれば、
次にまたメッセージが生まれ起こる。


人間というのはそのようなプロセスを通り、
自分を見つめて成長しつづけていける存在。
そう考えることもできるだろう。

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受け入れられていないメッセージの訴えが
身体に影響を造り出すことがあるとすれば、
身体の症状がエッジを知るための大切な手がかり。


慢性疲労や腰痛や肩こりなどに、
潜むメッセージを読み解くヒントがあるかもしれない。
自分探しの旅の道しるべにするのもいい。


私個人のお話しですが、
自分の身体と対話をする過程で、
痛みや苦しみの裏側にメッセージを見つけることが多い。