目が見えないのと耳が聞こえないのとどちらが大変なことだろうか?
考えたことはありますか?
そのような質問を頂きました。
聾学校で先生をなさった方からです。
目が見えないほうがつらいのでは?
道を歩くとき歩道が区分けしてないところもある。
なのにお構いなしにトラックがそばを音を立てて行きかう。
だから外出するときに手を合わせ無事を祈り、
同時に決死の覚悟をするといいます。
耳が聞こえない場合には、
道を歩くとき信号も見えます。
対向車や路上のはみ出て置かれた自転車もよけることもできます。
後ろからいきなり車が来られるときには気づかないが、
はるかに目が見えないよりも安全に街を歩くことが出来ます。
でも耳が聞こえなくなると『音楽が聴けなくなる』のです。
音楽。。。
音楽にはミュージックセラピーというものもあるように、
人間の情緒を育てるこれほどすばらしいものはない。
ときには愛を語り胸を打ち、
ときには時を越えて伝えられるものです。
神秘的な音の世界が私たちを教え導いてくれる。
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉
そんな昔CMで見たタワーレコードのキャッチコピーがこだまします。^-^;
私は目が見えなくなるのと耳が聞こえないのとどちらが?
との問いに即座に「目かな・・・」と思いました。
ですが「情緒を育てるために音楽は必要なんだよ」
とおっしゃられた言葉に深い重みを感じました。
人は音が吸収されて響きのない部屋に閉じ込められると、
気がおかしくなってしまうと聞いたことがあります。
暗い部屋にはなれることが出来ても、
音のない世界は母体の中でさえも体験したことがない。
暗い母体の中で、
ずっと母のざぁ〜っざぁ〜っという
血液の心地よい流れを聞き育ちました。
疲れきったときには目をつぶり休めましょう。
そして耳には心地よい音楽を。