大黒天の豊穣をえるための破壊神である側面


大黒天というインド伝来の神様がいます。
七福神のひとりとして有名ですね。


大黒天のことを調べると、
現在では五穀豊穣の神とされている。
福袋と打ち出の小槌をもって微笑んでいる。


だが実のところは、
破壊と豊穣の神だ。
もとをたどるとヒンドゥー教のシヴァの憤怒の化身。
まさに怒り狂う表情で青い体をした神であった。
そう聞くと七福神らしからぬ怖さを感じる。


だが心静に大黒天を思い続けていると、
次のようなイメージがわいてきました。


古き仕組みの根腐れを熟知する。
そして根腐れを破壊し焼き尽くす。
その上で新しき進化した仕組みに作り変えて豊穣を与える神


根腐れを熟知する透徹した眼力がある。
熟知して未来のビジョンを立てた上で、
根腐れには容赦なく鉈を振るうことだ。
破壊は次への創造へいたる通過点。


大黒天は本来の豊穣にいたる道とは、
そのようなものだと語る神だと思う。


だが今ではその根腐れを直視し剣を振るう部分は省かれ豊穣のみが押される。
そこに違和感のようなものを感じないだろうか。


身心のケアや成長をするときにも省いてはいけないものがある。


本来直視せねばならない部分を見ず、
根を蝕んだ状態で豊穣を望むことは
後に本当の豊穣は呼び込まないはず。


根まで知り尽くす目を持つか、養うか。
そして根腐れがあればどれだけ焼き尽くすか。
それから種を蒔いていけば豊穣が期待できる。


その深さの割合により各々が
豊穣をえることになるだろう。