固着から目覚めたいですね


『なぜあなたは後悔ばかりしているのか』という本を読んでいて、
目にとまったことがあります。


人は自分がそうだと認識したことに固着してしまうものだというのです。


脳は固着したものに注目し探し出してくれる。
そのおかげでスムースに情報収集ができる。
だけどいったん固着したルールを得ると、
その固着物以外は見えなくなるそうです。


固着した視点から視野を拡大させてみる。
そのほうが解法が開けることもあるのは、
数学の問題を解いていてもよくあること。


そうすればより最小の努力で
最大の効率的な動きができる。
不可能なことを可能に、
可能なことをより簡単に。


そんなこともおきる場合も起こりえる。


ただあまりにも強い固着をしているときは、
本人が固着していることに気づいていない。


そんなときに上司等がするアドバイスは、
サジェスチョン的なものではその強力な固着は解けない。
相手に気づいてもらうことを期待するよりも、
直接的にどの手順で具体的に対処すべきかを
教えていくことが固着の呪縛を解く鍵となる。


そのように説かれていました。


私自身も固着した見方をしていて、
出口や解答が得られずに苦しんでいることが多いのだろう。
固着により偏った選択的視野しか持ちえないため
既知の事実さえ見えなくなっていることに気づく。
知っていたはずのことさえ浮かんでこない。
そのことに驚くのはよほど苦しみぬいて、
『あっ、なんだ。
こんな別ルートでいけば近道だったんだ』
と気づいた後。
だいぶ遠回りをしてきたころあいですね。



体の使い方の勉強なんていうものもそのいい例。


固着した見方が邪魔をして知識的には知っていたことなのに、
応用がうまくできないことがよくあるんです。
そんなときにずいぶん遠回りをしたと感じる。
クールに順序だてて考えていれば時間が短縮できた。
自問自答で固着から抜ける質問ができればいいのだ。


強固な固着を自力で解くには
禅の心得が必要なんだろうなと思う。



後悔ばかりしないですむためには
素直な心を養えればいいんですよね。
きっと自分が気づいていないだけで、
必要な情報や教えはすでに与えられているように感じます。