野口体操の野口三千三教授は、
『信ずるとは、負けて、参って、任せて、待つことである』といっておられます。
信ずるものごとや存在に対しては、
はじめから勝負は負けてしまいなさい、
そして参りましょう、
そして任せちゃいなさい、
あとは待つことだというのです。
たとえば野口教授が信じていたことのひとつには、
『重さ』というものがありました。
重力がなければものを縦に並べておくことはできない。
立つこともできない。
だから運動する際には「重さに聞け」という。
つまり重力を信じなさい。
重力を制圧して勝とうとか負かしてやろうとはせず、
重力をよく様々な感覚器官で感じ取り間近まできて参拝し、
重力との共存の道を探ること。
そのような自助努力をひたすらにしていくことだという。
そこまでしたらあとはもう重さに身も心もゆだねて待つ。
結果はもう任しきっているからあとは待つだけなんです。
骨がうまく積まれていない立ち方をすれば、
重力との共存と共栄を手放したようなもの。
体が硬かったり立ち方の素性がどのようなものか理解不足だと、
重力に負けまいとしてしまう。
つまり重力に勝たなければならないという思いが強まる。
それが強ければ強いほど重さという自然法則に参ることなく
大切な重みのルールを理解して自分の体に応用させようとしなくなる。
すると小瓶を立てて置くがごとくに体を地面に置く感じはなくなる。
筋力で征せねば立てないという信念が緊張を生み、
重さを信じる以上の存在を筋力に感じてしまう。
最初の体の堅いときにはやはり筋力で征することも覚えて型を知る。
そんなことも必要ですが、
いつかは重力を信じて筋力よりもそちらを信仰すれば、
重さが体の中のパーツの並びを整えてくれて、
次第に筋肉が緩みだし、
そして筋肉の緩みだしがより理想に近く体のパーツを並べだしてくれる。
そのような善循環が起きるものだと思います。
信じられるものごとや存在は、
大概にしてごくごく客観的な実験を通して観察できるものです。
「信じられるもの」を、
重力意外にもより多く見つけて信仰するほど体も楽になる。
だがそれ以上に気持ちが謙虚になりもっと楽になるだろう。