電気機械である人体

『電気機械である人体』とは、『エドガー・ケイシー ホスリティック・ヒーリング―寿命を決める健康哲学 (ヒーリング・ブックス)』の第21章・手技治療のなかに出てくる言葉です


エドガー・ケイシー ホスリティック・ヒーリング―寿命を決める健康哲学 (ヒーリング・ブックス)



そしてその電気機械である人体には、
「運転のための蓄電池、電線、機械類が必要だ」といいます。


とても興味深い内容ですね。


「一次蓄電池は、体の電気的エネルギーを蓄えることだけが仕事の、
何千もの神経節細胞の形をとっている」
「複雑な配線系統は神経の形をとっていて、
その仕事はもっぱら、
神経節細胞から筋肉やその他の部分へと電気を帯びた体液を送ることだ」
「また、ひとそろいの機械は、筋肉、臓器、骨の形をとっている」


この電気機械として体の筋肉が操られているのは、
かえるの足を電気で通電させて動かす実験でもわかるし、
健康機器のひとつの電極パットを体に貼り付けて
電気を通して筋肉をぴくつかせる機器をみてもわかるだろう。


「神経系統は、体の動作および感情に作用し、
体のさまざまな部分、可動な臓器および中枢にエネルギーを供給する」


体の末節まで神経系統が伸びている。
脳のインパルスが数限りないほど分節化された筋肉組織の収縮運動を制御し、
骨格筋同様に各臓器の動きも作り出している。


だから「電気機械である人体」なんですよね。


そして電気を伝えるために電気を帯びた体液を循環系に乗って送り出す。
だから正座で足がしびれてくると足へ神経は通っていても血行が悪化し
電気を帯びた体液を送りづらいためおきていると実感できるだろう。


体の中のしびれも慢性化してくると、
その苦痛も日常化してくる。
血管の要所にあるしこりは各所に点在して血行を悪くしてしまう。
だが神経系を正常機能させていなくても
ある程度のものならば見て見ぬ振りをする。
無意識のうちに不快な状態を目隠ししてしまう。
だが関連器官の組織のダメージを防ぐための臨界点をこえると
痛みや痺れなどの症状を意識にまで上らせてくる。
これが体液が流れが悪くなって神経系に影響がでる仕組みです。


そんな感じで電気と電気を運ぶための体液のセットがそろって
電気機械である人体が正常機能いたします。


またエドガー・ケイシーのリーディングでは、
「---神経系統の電池が切れかけている。
心臓、肺、肝臓、腎臓の各働きは、
体の電池と呼んでもいい。
体の科学的な力が変わると、
これらの働きがひどく減退して臓器のどれかにストレスがかかり、
次第に機能的な乱れを生じさせることがある。」4007-1
とあります。



心臓、肺、肝臓、腎臓を電池という見方。

肺は外気の電子イオンを大量に摂取しますし、
心臓は心筋で強力なポンプ運動をして発電し、
肝臓は化学変化処理でイオン化合物生成時に。
ここまではイメージしていたんですが、
腎臓も電池として含めていたんですね。