私が現在おこなっているワークテクニックについて、
施術の心得がある先生に観たことがないと驚かれる。
そういうことがしばしばあります。
ベースは基本となる技術書などを適宜引用しています。
ですが書籍で解説してある技術で対応できるラッキーなケースは少なく、
慢性化し筋膜が繊維化から骨化まで進むときには限りがあります。
一般的によくある状態はその既存技術で対応ができます。
ですが体の患部といってよい部位の特徴は百人百様です。
書籍の技術は基礎と捕らえ応用まで持ち込む必要がある。
基礎力がなければ、
無から有を生み出すしかない。
でもそれができるのは数億人に一人の天才です。
私にはそのような才能はありませんから、
ひたすらに基礎を学び、
分散した基礎条件を立体的に組み合わせる応用です。
だからカイロプラクティックの技術やオステオパシーの技術、
そのほか多くの各種ホリスティック医療系技術は当然ながら、
構造力学なり武術なり身体操作法なりを学ぶ必要があります。
それらをどのように分解し意味づけし再構成するか。
頭を悩ませるところです。
もちろんある程度の問題を解決するのは、
今まで得た知識を顕在意識に並び立てて
理詰めにして導き出せます。
ですが「これはどうやればいいのかわからない」ケースがあります。
理詰めで考えようにも
「こんなことを誰かが対応しているのだろうか」とわからない。
そうして海外情報を含めたネット検索や知人の先生にたずねる。
多くの場合はそこでは見つかりません。
ですがその解答を教えていただけるときがある。
私はたまに神社にお参りにいくと書きますが、
そのお参り後に不思議なほどあっけなく問題の解がでてしまうことが多い。
自分で解を出しておきながら、
あとで解法を分析するんです。
そのすべての基礎は自分が知っていた知識の範疇です。
目新しいものはありません。
ですが問題に対しての切り口が鋭い。
いつもの自分じゃない。
目に映っていても見えていないものが、
目に映りだす感覚は驚きですよね。
像を結んだあとは新たな見方をもとにより発展させていく。
変なやつといわれるかもしれませんが、
私にとってこの技術はあそこの神社で
この技術はここの寺院でのように、
ひとつひとつ深い感謝の思いがあります。
実に幸せなひとだと思います。^-^)