できればブッダのことばが広まってほしいのですが


ヒーリング関係の書籍が多数出版されています。
私もいろいろとそのようなものは多読していますが。


ですがブッダが語ることばにも癒しや深い気づきが多いようです。



たとえば以下ブッダのことばです。


『他人の過ちを見つけるのは簡単だが、
自分の過ちを見つけるのは難しい。


じっさい、私たちは、
穀物の粒をふるうようにして、
他人の過ちは細かい箕にかける。


ところが、ずるい賭博者が都合の悪いサイコロの目が出そうになったら、
うまくごまかしてしまうように、
自分の過ちはそっとかくしてしまおうとする。』


私にも思い当たります。


人を許せず、
自分のことを棚にあげている。


またはそれ以前に、
自分の過ちを外に漏らすことを怖れて、
そしてじっと動けなくなることがある。


ブッダが生きていた国と時代と今の私の生きる背景は違うが、
どうも昔から人間は一貫した悩みを持ち続けているようです。
だからブッダのことばに共感し教訓として生きるのでしょう。
普遍的な悩み迷い葛藤などがブッダのことばから読み解ける。
普遍的なテーマですから今の私たちが聞いても古く感じない。


お経を読むと方便が深く真意がつかみづらいこともあります。
私は興味を持って調べましたが意味が深すぎてわからず終い。


ですがブッダは説教の中で
多くの生活心得や心の持ち方について
わかりやすいことばで語りかけました。


日本人と仏教とのかかわりは古く文化に溶け込んでいます。
日本人の言葉のなかや深層意識のなかに溶け込んでいます。
だから難解さを排したブッダのことばを読むと、
脳の溝の奥にしまわれたなにかが蘇る。
とてもわかりやすく思えてくるのです。


これは生きることの真剣さを問いただし
甘い心を諌める厳しき教えでもあります。
だが裏側に慈悲深い思いやりを感じます。


ブッダの語ることばの記録を読むことで
自分を高めることができるように思います。


私のように仏閣めぐりもしておられる方ならば、
ブッダが民衆に説いた言葉の記録を紐解いてみては。
仏教徒ではない異教徒の方も、哲学書と思い
目を通してみても価値があるかもしれません。


変哲もなく感じられたブッダのアドバイスの裏側に
興味深い思想や真理が輝いているように思えます。


私自身、なんどそれで救われたことか。。。。。