自己評価が成長するタネ

心理面からくる体の反応は実に奥深いもののようです。



体の状態としては十分に柔軟性があり余裕があるよう改善した。
そのため体の状態は体力的余裕があるが苦しくてしょうがない。


実際には体の各部のコンディションは悪くなく、
脊椎のゆがみも大変だったころを思い出せなくなるほど良好なのに。
私がそのような状態の方とお会いするとき、
第一印象は元気そうに見えてしまうのです。
体の外へ発するオーラのような気の発力は、
しっかりこちらの肌へ届いているもので。。。


でも体の様子の訴えを聞きますと、
胸の胸骨の中央辺りの壇中というツボあたりがもやがかかり、
奥歯がかみ合わせが悪くなり息がしずらくなったり、
さまざまな肉体的変調をきたしてします。
『得体の知れない不安感』が支配しているときは、
心臓(ハート)の周囲に不快なざわつきを感じる。


「人生は楽あれば苦あり」と申します。


苦しく歯を食いしばっているときには、
立派な果実を実らせるための準備期間。
植物も四季の春・夏・秋・冬が来るように、
私たちも春から冬までの芽吹き花を咲かせ実をつけ
太陽光の威光が少ない冬を迎えます。
バイオリズムのように一定周期の高低の差がある波が、
私たちが生まれたそのときより始まります。
その波を占星術などはとてもよく読んでいのでしょう。

ちょっと話が飛びますが、、、

人は「自己評価」と「客観的評価」を混同してしまうことがあります。


客観的評価は、過去の出来事の一部を切り取り
それを根拠に「君はこういうもの」と規定しリミッターをつけるもの。
そうして情報をコンパクトで理解しやすく扱いやすくするための概念。
熟慮されずに不完全な情報をもとに下した評価のことです。


では自己評価とは?

自分が生きた過去の経験や体験からの評価にとどまらず
その他の多くの情熱や創造力などの資産を加味して判断すべきものです。
根拠なき自信は情熱により生まれます。

自己評価には客観的評価のような冷めた根拠を求めません。
自分の力に自信をもつのは客観性ではかれるものではなく、
主観で感じ情熱に従い生きるならば秘めた力が開花する、
そのときをイメージした評価なのです。

そのために自己評価を正当に見積もるには
客観的評価のものさしではできません。
だがついつい客観的評価のものさしで自分を評価してしまい
リミッターを設定して精神的な不安定を起こすようにいたる。
潜在意識は自己評価の情熱ありの状態と冷めた客観的評価との往復にゆれる。


やがて人間は左脳で下した自己を客観的ものさしだけで評価したものを採用。
よほどの大人物でもない限り本能的に恐怖を避けるほうを優先させますから。



体感する時間では苦痛であれば長く感じる。
焼けた火鉢を触っている一瞬が長い時間と感じられるように。


人生は充実すれば楽しく短い。
楽しい時間は一瞬にして過ぎるように。


他人にしてしまいがちな客観的評価を自分行うことをやめてしまい、
過去の実績にこだわり過ぎず情熱を加えた自己評価をすればよい。


要するに、
そうした境地にいたれば
ときとして施術で体を調整しなくても
胸のつかえが抜けて劇的に快方することがあるのです。


お恥ずかしい話しながら他人の目を気にしすぎて苦しみぬいてきた私でして、
冷めた客観的評価と熱い自己評価の違いを理解したときずいぶんほっとしました。
自己評価が成長するタネ(種子)と気づいたとき体の状態も大きく変わりました。