ほっとさせていただける場に感謝

荏原図書館に立ち寄るときに少し足を伸ばして
近所のとある碑へお参りにでかけました。


神社の鳥居が立てられたこじんまりしています。
私にとりましては神聖な気が引き締まる場です。


以前、そちらへ榊をお供えさせていただいたのですが、
2ヶ月を越えてその榊は枯れずに青々としていました。
ですがさすがに榊が枯れてしまい
再度お供えさせていただきました。


それは去年の10月後半ごろです。
それからお参りにいくたびにいつも榊があります。
さすがに冬の寒さと雨が降らないときの乾きにより枯れただろう。
私がお供えさせていただいた榊は枯れて、
どなたかが新たにお供えしたのだろうと。


そう思うのですが。


先ほどひょっとしたら私がお供えさせていただいた榊が
勢いを失わなっていないのかもしれないと思いまして。


榊をお供えしたとき葉の表をお参りする人たちの方へ向けるでしょう。
それを裏返しにするような人はめったにいないはず。


でも私がお供えさせていただいたときは雨が降っていて
少しばたばたしていたため裏返しにしていたようでして。
そのようにして帰ってきて失敗したと思った記憶がある。


先ほど碑の左側の榊をみると見事に裏返しでした。^-^;


それを確認して「あっ」と驚いてます。


去年の10月後半から最低でも3ヶ月、
枯れることなく青々とし続けています。
枯れている葉が一枚もない粋のよさです。


私が家でお供えした榊はエアコンの風を受け2週間前後で枯れてしまうのに。


もしかしますと私みたいなおっちょこちょいの人が
榊を供えるときに裏返しにしたかもしれないのだが。


榊に強靭な生命力が宿っているのは確かですが、
場の力のようなものも影響しているように思う。


不思議なような
うれしいような。


お参りをさせていただくと、
帰り道で叱咤されるメッセージが
脳裏に思い浮かぶことがあります。
精進せねばと心に誓うことがある。



「自分を誇示する必要はなく、私自身の道を生きればよい」と、
いわれたような気がしたときもあった。
外に意識を向けすぎて自らを失うことは浅はかなことだ。
自分のすべきことをするだけでよいと諭されました。
自分に自信がないと必要以上に自分を偉く見せようと誇示するが、
そういう気持ちが消えなければ出世などさせられないよともいう。


私には他にも貴重なメッセージが聞こえてくる場があります。
潜在意識では未消化な考えが知恵へ引き上げられる瞬間です。
そこの場にいくと潜在意識を開くスイッチが入る感じです。
そのようなおかげで少しずつ亀のように成長できるわけです。^-^;



皆様もご自身と相性のよい心が引き締まったり落ち着ける場所を
心を鎮めながら探してみてはいかがでしょうか。
ご近所にそのようなご縁のある地があることに気づくかもしれません。