「間違った使い方」か「使い過ぎ」か?

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施術者のなかでも長時間肉体労働系の施術をしている人がいる。


それは誰だ〜?


私だよ!!


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というのは先ほどエンタを観ていたもので”西岡すみこさん風”に。


施術者の友人に体に負担がかかり年中腰痛や背中の張りから、
他にもさまざまな問題をかかえながら
がんばって働いている人がいます。


そのときに体の使い方に注視する施術者の場合、
この疲労や肉体の痛みをどう感じるでしょうか。

私どもは朝から晩まで前傾で自らの一挙手で
後の全責任がかかるようなことをしています。


飯抜きで働き続けることもよくあるものです。


ならば「体の使い過ぎ」の問題も大きいです。
それは事実ですよね。


でもそう言いたくなってもそういわずに、
「間違った使い方」が原因だと考えます。



「体の使い過ぎ」が問題ならば仕事を休むしかありません。
それどころか今の仕事を辞めざるをえないこともでてきます。
そうやって辞めていった人を何人か知っております。


まじめに施術をしている方と話をする。
すると体ができてくるまでは、
お客様が来ると自分の体がつらく苦しくなっていくる。
いつしか本能的に自分のエネルギーが消耗していく恐怖心が芽生える。


疲労困憊したときの人間は、そうなるものです。


そんなとき、
「お客様はね。
体をなおしてもらいたいから君のところへきているだけ。
君を苦しめようなんて考えてはいないんだ。」
と言葉をかける。


「もし君が歯医者さんに通うとき、
歯医者さんを苦しめようと思ったかい?
虫歯を治してほしいなって思ったはず。
そのときの気持ちと変わりはしないんだ」


このような言葉はお客様にとってみれば
あたりまえの言葉でしかないだろう。
何をいいたいのかわからないかもしれない。


でもそんな言葉や考え方に
新鮮な気づきを感じられることもあるのです。


そんなとき自分の体の使い方に「間違った使い方」の部分があるならば、
それを改善すればいい。
改善すれば「使い過ぎ」という考えで仕事を休んだり辞める必要もない。
そこに可能性を感じ邁進するか、
甘んじてつらさに耐え続けるか。


その差は大きいんですね。


私も過去にそうとうなつらい思いをしてきています。
もともと体力はからっきしなかったからしかたありません。


だが常に体を「間違った使い方」か「使い過ぎ」か?の問いに対して、
意地でも「間違った使い方」をしたからつらいのだと考えてきました。
そしてひとつひとつの課題を書籍等も参考にしつつ、
ほぼ独力で答えをえてより正解に近い使い方を得てきました。


だから今まで続けられた。


人は誰もが自分が間違ったことをしているとは考えたくないものです。
間違っているといわれれば反射的に「そんなことはない」と思うもの。


ですが改善の道を通るためには、
今自分が手にしたものを手放し
そして別のものを手に取るべき。


そのようなことが必要なのです。


質の高い動きを身につける秘訣はそのようなものです。


手放す意義や意味がわからない限り
他人の助言を受けてもみにならない。


その意味がわかり始めると、
間違った使い方は改めればば済む話だといいきれるようになります。
ただそれだけでよいことなのです。


もちろんこれは施術者に限った話ではありません。