視認と触認の違い

観察力鋭い武術家。
対面した相手の姿勢や動きの癖を観察すれば
その人の関節が曲がりにくい方向を見つけて
そこを攻めればよい。


相手が無防備になる隙をつくんです。


ボクシングでは1ラウンド目で
互いに動いて相手を観察して隙を確かめる。
日頃の観察力を増長させる修練にもとづく瞬時の直感しか役立たない世界。


隙がないと血の気が引くでしょうし、
隙を見つければ「やったね!」です。


整体をしている人も、
深層筋膜をリリースしなれていると、
その人の体の内側にある隙が見える。


ダンスをしている方の動きの癖や得意な動きも、
格闘技をしている方の動きの癖や得意な動きも、
手に取るようにわかるときもあります。


そうなると舞台や試合をみつめる目が鋭くなる。


施術をするときも
有益な経験をつんだものには
立ち居振る舞いを観察すれば
直感的にその人の傾向が映る。


いくつもの評点を瞬間的に脳裏に納め高速処理し、
そこから反射的に分析がくだされるところも多い。


ことさらに計算をせず結果がぽん!とでてきます。
ただ瞬間見ただけでたいそうな情報が押し寄せる。


施術を通し施術前と施術後の変化と施術の作用を
施術者自身の手の触覚を通してまなんでいるから。


施術の意図を把握していくだけでも身体構造が分析的に見えてくる。
リアルタイムにどうすればどう変わるかわかるか確認できる。
その積み重ねで理解をより深くすることで新発見をしていく。



でもそこには落とし穴があります。



視認すると遠近感を脳が自動修正するため距離の誤差がでる。
大きい誤差に繋がるがそれに気づかずに迷宮に入るときがある。


正しい施術姿勢を身に着け丹田と圧する部位との距離を測れる。
得られた手の触覚を通した情報にはその誤差がミリ単位になる。


このような情報じゃないと計測の甘さ部分を脳が誤差修正して
その像を見て正しいと信じ込んで迷宮に入るのですよね。
成果がでにくいがどこに問題があるかわからない。


そんなときに基本を大切にする指導者がいたならば、
数センチも認識の誤差がでるようではどこみてるの?と、
施術慣れした先生からはぎょろっとにらまれて当然です。



正しい計測が適切な像が脳内に浮かばず、
でたらめな像を描いてそれをみてしまう。
その情報をもとに行動していてはうまくいかない。


ロボットを動かすときに周囲の状況をセンサーから数値データ化する。
その数値データを元に内部情報とつき合わせて行動を決めるわけです。
正確なセンサーがなければ数値データは正確性に欠けてしまう。
思い通りの目的の行動から逸れていく。


人体もロボットのそれと違いません。


この計測力の細かさと正確性が
どれほど身体を正確に生かすか!


それをかなえる基礎力を鍛える意味がわかり訓練すれば、
施術者としてもいい仕事ができるでしょうね。


ボディワイズにおみえになられている鍼灸師の女性がおられます。
熱心に厳しく鍼をうつからだの基礎トレを指導してくれているそうです。
指導者の老獪さや的確さは指導内容を聞くだけで身震いするほどわかる。
まさに体をノギスのような測りにすることをベースにしている。
普通の方ならば何をしたいのかわからないトレーニング方法ですが、
武術を深くかじったことがあればうなづける。
稀有な指導者といえる先生ですね。


ノギスのようなミリ単位とかそれ以下の単位で測れる計測器を
体の中に持たなければ観察力の甘さにつながり臨床の積み重ねも
毎回がメモリの長さの違う定規で計測したデータです。
記録をとっていても誤差がじゃまして分析もできない。


誤差なきすっきり見渡せる像を手にいれたら分析力も冴えわたる。
その結果、大脳が正規に働き重要なところが目に飛び込んでくる。


施術者の立場として考えれば、
その差のもとで経年経験をつんでいけば、
実力の開きは深まるばかりだと思います。