臨機応変が実践力を育てるのでは


一昨日前に合気柔術を教えていただきましたとき。


用法は実践的でした。


教えていただきました先生の今までの修行経験と
現在のお仕事の関係であるのでしょう。


実践的といえば、
キモ・フェレイラというハワイ出身のベトナム戦争を体験した武術家も
戦争で生死の視線を生き抜いてきたつわもの。
演武を一度拝見させていただきましたが、
実践的な武術でした。



戦い勝利する最短距離をいきます。


生きるか死ぬかで、
徹底的に相手を制圧します。


そのような雰囲気を温和なお顔には想像できないほどに感じられました。
(世の中にはいろいろなお仕事があるものです!)


ですが今の私の生活では
緊張感がそのように高まるなかで生き抜いてはいない。


だから合気道の技を使って相手を制することができるかどうか。
という技比べをしたくなる。


でも本来の人と人が対峙するときの危険な緊張感があるときは、
そのような悠長なことをいってはいられません。


技を繰り出して2秒も止まりその技に固執すれば
居ついた動きとなり隙ができて一巻の終わりです。
双方が攻守するならば
攻めつつ守り、
守りつつ攻められる。
攻めているときには守りが手薄になるため、
格好の無防備をさらけ出すことになります。


技が修練され優れていたほうがいいいのは確か。
ただ見事な技が決まらねば勝てない実践は珍しく、
もっと泥臭いところで決まることのようなのです。


実践では状況に即して持てる技をフルに活用する。


でもそれでは対応できないこともよくあるのです。


だから技の手持ちにこだわらずに臨機応変に。


私どもの仕事でも施術も技に頼れないときもある。
施術の技を使うよりも、
シンプルなアプローチをしたほうがいいときもある。
技を使うのではなく、
技を手放し別な法をとるほうがよいときがある。


意外にその発想が欠けてしまうことがあります。


臨機応変であることが必要なときもあります。


最終的な目標が体を改善させること。
技を施すのは手段のひとつです。
他の手段を採用したほうがよいならばそうすべき。


流派のこだわりは大切ですが、
使える手を何手持っているかも大切。
この局面なら適材適所これが使えそうと
選択肢が複数あると役立つことがある。


合気柔術の伝授をしていただいているときに
そう語っていただけたような気がしました。