良い気分で過ごすためにはどうすればいい?

一作日前にメールで次のような文章をお送りいただきました。

> もしいつも良い気分で過ごしていたら、身体が変わることはありますか?
> 僕は歪み始めてからそのことばかりを気にして、結局悪くなってしまいました。


人は気になるところに目がいきます。
どうしても気になるのです。
痛みや不快感や苦しみならばネガティブな印象が脳を覆い尽くします。


そのとようなとき脳は、
筋力を虚脱させてしまう反応を生じさせる。
虚脱した筋肉では骨格を理想状態にキープできないのです。
こころの問題により歪んだ体の状態を創りだせるのです。


歪んだ体の状態が継続し
その状態に慣れ親しめば、
体を支えるのが重労働に。
制限された呼吸は息苦しさを感じられ、
下垂していく内臓により内臓の諸機能も疲弊していく。


肉体的な疲れが抜けない状態に陥ることがあるのです。


そうなると「こんな自分は理想の自分ではない。嫌だ」と思い心も疲弊する。
肉体的な苦痛がいつしか精神的苦痛に変化する流れのひとつのパターンです。


すると問題が複雑化して解決のステップが遠のくことも考えられます。


人間にとってもっとも悪しきものは妄想。
そこから生じる恐怖と悲しみと怒りです。



そんなとき。



常に問題部分のこわばりに気持ちを置くのは
よい結果を生まないといえるでしょう。


一般の人が自分の体の全体をみるならば、
「快調なところ」と「不調なところ」の両面が共存していることがほとんど。
たとえギックリ腰になって腰が痛くても、
体の何処かには痛みのような不快感はない部分もあるものです。


それが不調なところばかりに意識がいく。
生活や生命の不安や不快さがあればそこから本能的に逃げたい。
この思いが強烈でこればかりクローズアップして見えてきくる。




そこばかりが目につき他が見えなくなるのです。
一部分ばかりを見つめ他の部分を無視するのは
体の全体を知らずに一部をどうにかすればいいという狭い視点に陥りがちに。


たとえば筋膜の癒着で問題がおきているときは、
痛みが出ている発痛箇所が問題のように見えるが、
その発痛を起こす引き金を弾いている犯人はその場所にはいない。
それなのに発痛箇所ばかりをアプローチしていてもらちがあかない。
そんなことは、ざらにあるのです。



そんなときには快調な部位にことさらにでも感謝の心と念を向けることで、
気持ちの落ち着きを取り戻すことができます。


苦しみというマイナスの気持ちを帳消しにするためには、
感謝というプラスの気持ちをふくらませて満たすのです。


そのほうが体の隅々が次第に目に見えてくる。


そうすることで妄想や迷妄の陰が薄れて、
体の真の実態がみえてきます。


妄想の支配から逃れられればしめたもの。


冷静に施術院を選択することもでるでしょう。
体に有益な自己対処法を解説する本を読めば、
必要な情報がしっかり目に飛び込んできます。
自分が本来持っている優れた対応能力を発揮。


有利に物事を運んでいけそうですよね。