常に己の進路を求めて、やまざるは水なり


松原泰道の本を読みまして。


「常に己の進路を求めて
やまざるは水なり」


水は高いところから低いところへと流れていく。


それは水流先を争わずというように秩序正しく。


人間があれやこれやと理屈をつけて水の流れを説明しようとします。
でも水は意識的にそうしているわけではない。


もちろん人間の意識で水が流れているわけでもない。



できることは私たちは自然現象をよく見つめていき、
何かを感受していくこと。
自然現象をよくみつめる。


あれやこれやと理屈をつければ目が濁る。
そうするよりも自然現象を純粋に見つめ感受していったほうがいいよ。


そんなメッセージがこころを打ちます。
澄んだ目をしていなければ、
見失いがちですよね。


私は個人的に理屈も必要と思います。
ただし自然現象を純粋に見つめ感受する力がなくなっていてはいけません。


常に自然現象を純粋に見つめ感受しつづけて、
そこを基礎にして帰着させていくならば
理屈も自然現象と反りがあうはずです。


そこからしか自然に愛される発想も生まれては来ない。


そう人の体を観ていても感じてしまう。