『手技(マッサージ)+動き方』の相乗 について考えて・・・


先日、マッサージを生業となさっておられる方からメールをいただきました。
ただマッサージのみでは解消しきれないものがあると、
現状をより、よろしい理想的なものへと変えるために
動き方の研究もしておられるとのこと。


たとえば過去に尻餅をついたり頭をどこかにぶつけたり。
そうしたときに骨格を歪めてしまうような強い衝撃が入り、
そのような衝撃が抜け出られないで長年苦しんでいるとき。
エネルギーシストなどといって、
体の中に通る軸が寸断されたり。


そういうものを見つけてつなげるようにしてしまえれば、
それはすぅーっと元通りにあったようになってしまう。
そうなると自分では気付かれないかもしれないが、
これがうまくつながるといいかんじでキープされ
経脈の滞りの問題が改善されるようにもなります。


不思議とアレルギー症状などが改善しているなと、
以降、いい調子になることもあるのですが、
調整されたときには自律神経系の改善などは
痛みが消えるような劇的変化を感じられるものでもないので、
後々になって「そういえば、よくなった。?かな?」と。


意外につらかったときのことは、
風邪が治った後に、発熱悪寒で苦しんだときのことなど、
綺麗サッパリ忘れちゃっているのと同じようなことで、
すでに不具合なんて忘却の彼方ですから。^-^


そういうものを調整したときは長く持ちますね。


私がそのようなものを改善したなとわかっていても、
言ってくれと言われない限り、本人が忘れてるなら
別にそれでいいんじゃな〜い、と。^-^;




でも関節のズレがあってというものを調整しても、
すでにその関節を取り巻くような靭帯や腱などや
筋肉群も関節をずらしていこうと
運動神経系がつくられてしまっているのです。


そのような筋肉の形状記憶金属のようなずらし癖がある。


黙って無意識にいつものパターンのずらし癖ある体の動かし方をすれば、
もとにスムースに戻るよう、筋肉の興奮状態もその手助けをしています。


だから単純に機械的な外圧により調整を受けたとしても、
もとに戻る量が多いものですね。


それは筋肉の硬度がどう変わるか数値で測れる筋硬度計で時間経過でチェックすれば、
その施術はどの程度の持続性が示されるだろうかとグラフ化できることです。


そして下手な外圧をかけてぐらつかされると、
得てして以前あった状態の調和が乱される。
それがきっかけで改善どころか改悪となる。
体の状態を変化させるとは、
現状を壊して再構成させる。
その再構成させる絵がなく、
とりあえず現状を壊されるということになると、
どうなっちゃうのかがわからないのです。


並びが整わずにぐらつくだるま落としを、
正しく並べるように計算して整えるのか、
とりあえず重力線や重さのかかりなどを
あまり考えずに痛いといわれるところを対処した。


その結果の差は大きいでしょう。


専門家の先生に施術を受けるということは、
この見立ての部分の知識を、
購入するようなものですね。



慢性的な関節をずらすクセがついていなければ、
多くは急性症状では整体・カイロプラクティック等よりも整骨院や整形外科にいきます。


一概には言えませんが、
そのような傾向があるようです。


整体等では保険も効かない高い料金を請求されることですから、
保険で対応しづらいという様子のものが多くなるのでしょう。
そうなると慢性的なしつこい症状を持たれていたり、
改善させるに難しい条件があることも多々あります。
相当な施術家の力量がなければ、、、となります。



そんなときに施術効果を維持させる特徴をもたせるにはどうすればよいか。


そのひとつに次のようなものがあるのですね。


筋肉が関節をずらして理想的な骨格の並びを取らせないようにしているのならば、
それに対して、マッサージで問題部分を緩めて活性化させ、
筋肉のセンサーを開かせたり関節の可動域等の問題を対処、
それに加えて体の使われ方の癖を改善させれば、成果が相乗する。


戻りが少なくなれるようアドバイスができ、
今、ここからもっと良くなるんだよという、
提示をしていることとなるのだと思います。


そのような手技や動き方のことをトータルで勉強する先生は、
勉強する内容も専門的ですし多岐にわたらないとならないため、
相当な時間や費用を研究などに割かなければならない。
そうしなければ基礎研究のない、
目立った上積み部分を講習会等で得ただけの、
自力のあまり持てない地に足がつかないもの。
手技も動き方もとどっちつかずになるのでは、
どちらも自信が持てなくなるのであれば問題。


なのでいきなり動き方もマッサージや手技もとなるよりも、
動き方のエキスパートになってから手技を身につけるとか、
またはその逆にということもいいのでしょう。


私の知り合いの先生のなかには、
そのように軸になる大黒柱を据え考えて、
その一本が立派に経てばもうひとつの柱になるものは、
陸続きのもので得られやすくなるものだと割り切る人もいます。


ただ、ひとつだけ言えることは、
よい施術家の先生も動き方の先生も、
両者とも一定レベル以上の身体操作ができているようです。


おそらく身体操作の良し悪しと感性の鋭さとは比例します。
自ら身体が割れて分けて見えていないし感じられないのに、
お客様の体ばかりだけ優れて分けて見えるなどありません。


そう思えるので個人的に、
そこまでいく先生には無条件で尊敬の念をいだきますね。
観ていて、非常に嬉しくなってきます。


そうなると、やはりまずは自分の体の中から変革を起こし、
感受性や感性を高くして多くを気付き知識や知恵を貯めて、
一般の方には絶対に気づけないようなものを武器にして
職業としておられることとなります。


そう感じられてなりません。


また、そのような深遠な叡智を探るのならば、
時間をかけてもいいじゃないか、と思います。


そしてそのような研究は、道半ばで諦めたり、
体を壊すことがなければ、、、、、、。
最後には施術者自身を救う宝になりますから。