頭の上に供物を乗せたBaliの女性たち



Bali, 1920s


こちらの映像の『1分34秒』に、頭の上に供物を乗せたBaliの女性たち。


神様に供するものは頭で運ぶのでしょうね。


このうず高くタワー状に積まれた供物には
多少の側弯や頚椎のつまりがあるだけでも、
致命傷を負わせてしまうでしょう。


私には高度な荒業のようにみえます。
それが宗教的意味合いを持つことで、
最高の感謝の気持ちを伝えることに。


私には、このような方法でお供物を差上げられる女性たちこそ、
神に近い何かを感じられてなりません。




ここで首の緊張について考えてみましょう。
たとえば、、
施術家の先生にたまたま施術を教えているとき。
教わる方が、新たなことを学び緊張するためか、
首に力を入れ縮みこませてしまうことがあります。




これは一般の方が、いきなり施術を習おうかというときは、
まったく未知のジャンルだから誰だって緊張するものです。


私も、自動車の免許をとるときに通った教習所での最初の実習のとき。
ハンドルを握る手に不要な力が入りがちがちでした。
でも慣れれば、そうはならなくなるのです。
さほどそこに目くじらを立てて「頑張れ!頑張れ!」と言わなくてもよい。
自動車の運転もキャリアが積まれベテランになったら、
緊張せずに絶妙な車庫入れもできてしまいますからね。


そういった問題だと思いますので、
何度か繰り返しやってみましょう!
が最適なアドバイスでしょう。



それがかえって教え教わるのが施術家同士ですと、
微妙なプライドのようなものがからみ合ってか?
首に力が入ると自律神経が塞がれて抜けが悪くなり、
全体視野で自分がいまやろうとしていることを理解できなくなります。


定点的が手を触れているそこだけしかみえてこなくなることもあって。


これは両者の人間関係やキャラクターによって大きく左右されますが、
これからの仕事の方向性を模索していくほどの思い入れがあるがこそ、
うまくやらなければならない、失敗はできない、といった
プレッシャーからくる緊張がでてきてしまうこともあって。


そんなときに掛ける言葉が、
「首を緊張させないで」ではかえって首にばかり意識を置かれてしまう。
他の肩や胸や腰などのバランスを崩しかねない。




そのようなときに有効なのが
頭上に神に捧げる大切な供物を乗せて運ぶ感じで。首を潰されないように伸ばしてください』です。


お供物を頭に乗せて運ぼう.png


お供物を頭に乗せて、軽くダンスしてみてもいいでしょう。
そのようにイメージしてもらったほうが結果が断然に良い。




局所的に首の部分だけを緩めようとしても、
すでに腰が引けて、そこから緊張している。
だから首が縮まっているのですからゆるめようがない。



腰がコリ固まれば首は自然に縮まってしまうようにできているのです。


腰の筋肉から肩甲骨の高さ、頚椎の部分まですべてが協調して伸びて、
そうすることで初めて重い供物を乗せていられます。
それも乗せられた供物の心を捉えバランスを維持させるには、
頭に密着している部分に意識を置くのでは願いはかなわずで、
(もちろん接点のモニターする意識は重要極まりないですが)
自分の頚椎から胸椎、腰椎、そして仙骨から尾骨までを
一本の皿回しのしなやかな棒のようにして支えていきます。
皿回しの棒が揺れ動くときのように腰の中腹が緩やかに骨盤部と胸郭部を分けて免震構造をかなえる役割を持ちます。


そうすることで胴体を尾骨から頭頂部までを一連の統合体として扱うことができます。


正確無比なポイントを吟味して、
適量の圧の質をつくりだして入り身して余韻を残していくか。
そんなことがなされておられる指圧の先生や整体の先生、鍼灸師、マッサージ師等々は、
そのような背中の扱いをしているように思います。


これをかなえるには軸感覚を養うためのハラや上・中・下丹田の形勢は必須ですし、
動き出しの浮身を作ったり、自分の体の中の骨や腱をどう扱うか。
コアを整え発力を生みだして、どう末端の手足を活かしているか。
その他、他人には気づかれないほどの些細な事にも気を配ります。
そうなると、いい加減が、調度よい加減という言葉になるのです。



そんなことの全体量が施術に活かされているのです。
そこは施術の技術を伝えるテクニック本には書かれてません。
自分で工夫するか、師匠と仰ぐものから教えてもらうかする。


だから深みがある施術家かどうかは、
受けてみなければわかりません。


それにこのような工夫は際限がないものですから、
成長に終わりなしとすぐれた技術者ほどおっしゃられます。



ただこの型の基礎のようなものは、
職人的なノウハウを伝えられたか、
武道的な視野を持たなければ、
発想が浮かばないところもあるのかなとも思います。
そうなると、習うことや真似ることも大切ですよね。