洗足池散歩にて「西郷隆盛留魂碑」の傍らで

先日施術をしているとき。
お客様のお父さんが、、詳しく言うのはよくないので70歳前後としましょう。


そのお父さんが、2〜3日に一度、4時間ほどの散歩をしておられるとのこと。


意外に私も、体力づくりのためと、
わざと迷子になるような道を選んで進み脳トレをするために、
それくらいの時間を歩くわけですが、
炎天下でも構わず勇猛果敢に散歩へ旅立たれるとのこと。
なかなかの気合と根性です。





私の散歩コースのひとつに「洗足池」がありまして。
こちらに散歩をしているということは以前もブログに書きましたが、
とても気分の良くなる大樹も多く残る場所です。


富士山が拝むことができる最高の場所に勝海舟ご夫婦の墓所があり、
その左隣りに西郷隆盛 南洲翁の魂を祀る「西郷隆盛留魂碑」が建ちます。


勝海舟墓所は、カラッとしたスカッとした感じですが、
西郷隆盛留魂碑」の地は小さな祠と大きな留魂碑の在するのですが、
少し不思議な雰囲気のある場所です。


勝海舟ご夫婦の墓所.JPG
勝海舟ご夫婦の墓所

西郷隆盛留魂碑.JPG
西郷隆盛留魂碑



私は不勉強なもので西郷隆盛という御仁は、
上野で犬を散歩させる人のイメージが強い。


その犬の散歩像の雑学は持っておりました。 


それは西南の役で死した西郷が10年後に大赦により名誉を回復したとき。
江戸無血開城をかなえることができた立役者で人気があった。
だから市民から集められた募金を元に皇居の方を向くのではなく、
民の多くいる東京全体を見るような方向を向いてたてられました。
だから軍服ではなく、ラフな愛犬との散歩をしている親しみ深い像になる。


幕末、江戸幕府を倒幕していかねばならぬ血で血を洗う戦乱の中です。
誰もが頭に血がのぼって当然でしょう。
勝ち戦で進む軍隊をまかされた将です。


西郷が、どのようなときでもお国のことを真に考え続けておらねば、
そんな腹の座った男でなければ、
勝海舟大政奉還を行なう旨の江戸無血開城を談判するために遣わした山岡鉄舟の言葉など、
辛抱強く聞き止めようなどとはしなかったでしょう。


どんなに山岡鉄舟が優れた武人で腹が座った人物でも、
それを見ぬくだけの眼力がなければそれまでですから。


西郷はお人好しじゃなく、
知恵も深く頭も切れる。
人間味の深さとクレバーさを併せ持つ。


山岡鉄舟ファンの私としては、
山岡鉄舟との親交が深い西郷隆盛先生も、
ファンの親友は、それまた大好きでして。^-^;


そんなことを思い、
最近、次の本を読んでいます。^-^)



話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく (PHP文庫)


西郷隆盛自身が書いた文章ではありません。


それは西郷隆盛の絵画や銅像など、
一切自分の顔を描かせて貰いたいといわれても、
「どうかそれだけはご勘弁ください」といったシャイな男です。


自分の功績を、誇らしげに語ろうとする文章など書かなかった。


かつては薩摩と戦った庄内藩西郷隆盛を先生と慕い、
西郷隆盛が引退後に薩摩にいたときに薩摩遊学をして
先生から話を聞きまとめたものの内容です。



本書を読み進め気づくことは、
心底ブレることのない人間はいるんですね。
そう思うと嬉しくなってしまいます。



他者信頼を深々とできるということは
人を深く知りたくなり心を豊かにして
自らの身心の緊張もほどけていきます。
そうして人は救われていくのでしょう。


西郷隆盛先生とは
実際にお会いできず文庫本から学ぶ薄い接点でしかなくとも、
この人すごいと心底喜べる信頼する人間を増やすことができ、
とても幸運だと思います。


そして洗足池の「西郷隆盛留魂碑」の祠の前で、
「本を読ませて頂きましたよ、ありがとうございます」と祈れば、
褒めてくれもするのでしょうか。



蛇足ですが、
目黒不動尊のお墓に青木昆陽という甘藷先生とも呼ばれる
飢饉にさつまいもを育て備えるべきだと提案した陽明学の先生のお墓があります。
西郷隆盛も短期間ですが陽明学を学び知行合一を旨として突き進んだわけで、
その甘藷先生を敬愛をなさっておられそのお墓参りをしたといいます。


この甘藷先生のお墓参りも、なぜだか月に二度ほどは訪れていますもので、
それもまた、嬉しい。^-^)