観(かん)の目は強く、見(けん)の目は弱く

武道などでの練習で、
(一人)対(一人)で取り組むときもありますが、
(一人)対(多人数)という場合もあります。


めったにそんな実践的な練習などはないのです。
とりあえずそういったことを想定してください。


すると前にも横にも後ろにも、
今にもかかってこようとする。


前からの攻撃は相対すればいいが、
後ろからはそうもいきませんよね。


後ろに目があるわけではないから。


ならば前からの攻撃を受けたとき、
後ろからの気配くらいは感じ取り、
さっと避けてみてはいかがですか。


そんなことをするときにポイントがあります。


目の前の人に気を取られ、
そちらをガン見したとき。
背後の気配を感じ取れずにゲームセット。
簡単に、スパーンっと一本とられますね。


だからもしも相手の剣先をじっと観たら、
他が見えなくなり目の居付き状態ですね。


では目の前の人を見える程度にしておき、
実際の目にばかり頼らずに、
背後からの人の動きによる風の流れを感じ、
音を拾い足音の振動を感じとり周囲の情報を集めていく。


そうすることで、
どのような情景が背後にあるのか。
集められた情報を元にして脳内で可視化されたイメージを作り見る。


不思議とそのようなイメージを作り出せたときには、
まるで自分を空中に漂わせ背後から自分を覗き見る。
そのような映像がリアルな感じで作り出せるように。


五感と脳をフル活用させ可視化像を見ているときに、
体の中の中心軸が整う。
正確にかかと側に乗れるようになるのです。


そして知悉なつま先の先っぽ重心から離れることができるようになる。
綺麗に足裏のアーチの吸盤状になった部分を適度に使いこなせていく。
そうなるとあまりかかって行きたくなくなるようなオーラがでてきて、
背後の相手の一打を鈍らせることにもなる。
そんな殺気を感じさせられることができれば一人前でしょう。


このような五感と脳をフル活用して自分を可視化することができると、
おそらくバレエ等のダンスにも言えていることがあるのでしょう。
とある著名なダンサーが、
最高に気持ちよく舞台上で踊っていたときに、
まるで自分が幽体離脱して天井から自分を観ていたという。
そして遠隔操縦のような形で、
自分の意思どおりに自分を操ることとなった。
観客もいつもと違う雰囲気を感じ酔っていた。


そんな談話をどこかで読んだことがあります。





そしてもちろん、施術をするときにも、そう。 ^-^)



ある意味、良い施術ができたかどうか、
このようなところでも決まりますよね。


観の目をもちいて事にあたることです。



これがかなうときは、
施術をしている私も疲れが大幅に減少します。
なにをどうしたいのか、どうすべきなのかが、
仮想化して描いた可視化像をミクロにもマクロにも、
分解し統合してそのものを観ていく感覚が生まれる。
そんなビジョンを、臨場体験を持ち感じ味わいます。


その上で得られた情報からおこなった作業に対して
自分でも納得できる手応えを感じることができます。


私の施術の場合は、全身を通したものだから、
常に全体のバランスを見計らっていくために、
部分だけを過剰に解くことは避けたいために、
相当、気を配りながら計算をしています。
施術をしている側の体も疲れますが、
疲労がハンパではないのはこのためもある。


だからうまいこと思い通りに解けていく結果を得られたら
「よ〜し、これで、よし!」と威勢のいい声がでてしまう。



私は目を一瞬瞬いて閉じる。
または目を閉じたままで感じ取る。
その瞬間に、
脳内で五感から得られた映像を結びます。
観(かん)の目は強く、見(けん)の目は弱くの、
観の目をしっかと見開こうとしているのです。


その映像は距離感が少し甘くなるものの、
重要な点がいつも以上に浮き彫りになる。
そしてその重要な点の形状や硬さや状態、
それにどのようにアプローチすればいい?
という判断までが高速に思い浮かびます。
それは目だけで捉えるというよりも、


経験から割り出す直感という情報がある。
複雑な要素を計算した上で得られる直感は、
ガン見を避けていくことが必須となります。


一点集中的な視力には、
弱点が目白押しですが。


たとえば一点集中して目の前のものを観た瞬間、
軸がそちらに気づかぬうちに傾斜して持ってかれるてしまうわけです。
そんな倒壊したような骨格構造体を持った様子での施術者の体からは、
意図的にコントロールした圧は生まれません。
繊細さに欠けるところがでてきます。
それに倒壊した体の状態は、確実にその身を辛くむしばんでいきます。


そしてこのようなことは、
自分で気づかないといけないもののようです。
すでにそういった懸案で答えを求めている人でない限りは、
ことの重要性に気づいてくれないことが多いようなのです。



施術中に俯瞰視点を常にキープすること自体が、
難易度が高い修業だと思えます。




私がこのようなことがあると気づいたのは、
そんな昔からではありませんでしたから、
未だにそれを詰める修業の途中です。


施術中は、どうにか使える感じになりましたが、
人生上、実生活ではそれが活かせてなくて。
もしこの観の目をしっかと見開ければ、
生き方自体、もっと磨きがかかるはず。
それも課題の一つですね。