脱力をしたときに発力するようにしましょう!


呼吸をするときを考えてください。


息を吸うときには、横隔膜を引き下げて体中の筋肉を連動させて肺を膨らませるようにするわけです。
息を吐くときには、膨らんだ風船のようなもの。
わざわざ息を吐こうと努力しなくとも、脱力しだけで肺は縮むものなのです。


筋肉にとりまして、
呼吸とはわかりやすい緊張と緩和の繰り返しです。


ヨガの四つん這いになって背骨を上下に丸めて持ち上げたり、前に反らせたりするような動作を、
弓道の弓の部位に脊椎の反りと丸めを模して考え、
息を吸うときは弓を引くが如きもので力を蓄えて、
息を吐くときは引いた弓の弦の力を借りただ放てばいいだけだとなります。


無駄な力みがあれば的には当たらない。
どれだけ無念無想で矢を送るかどうか。
絶妙なタイミングがあるのでしょう。



そんな脊椎を弓として捉える視点もありますが、
次に胴体の重さを利用して発力するイメージも
持ってみるのもいいのかもしれません。



四つん這いになっているときの様子をつぶさに観察すると。
胴体を上に丸めつつ持ち上げるときには
重力に逆らう力を必要として息を吸わねばならないのですが、
胴体を腹を前に突き出す如く出していくのは重力により落ちるから息を吐いて脱力するだけでいい。


そんな見方もできますよね。


そして四つん這いになっているときの延長線上で、
二足で立っているときもこれと同じと考えます。


そのような形で呼吸ができているものは、
脊椎を常に居付きのない柔軟な状態で保ちます。


動きがない関節は、いずれ関節周りの筋肉や靭帯が硬直して狭窄していきますから。
このような前後に体を丸めたり反らせたりする反応が呼吸の中で起きていなければ、
加齢とともに急速に脊椎の椎間板ボリュームが減少して身長がショートし始めます。


二足で立つ状態でも、いい感じで脊椎が呼吸のリズムに合わせて丸められ反られてという反応がある人は、
常に自律神経系のコンディションが整えられるため、
加齢とともに身長が短縮するものではない。


このような両者の健康寿命の長短は開きが大きくなると思われます。



ただもし呼吸をするときの脊椎の動きが失われいる人でも、
練習を積んでいき二足で立つときに脊椎の前後動作があるのが心地いいなと感じると、
脊椎の椎間板ボリュームが復活してきて身長が伸びていくこともあります。


そうなると呼吸が深く安定し、持久力も付きます。


運動神経の良さそうな方は、
呼吸のタイミングをはかり
息を吐く脱力と同時に力を出します。


脱力したときに発力するわけです。
脱力して発力を生じさせるときは、
自分の体の重さを有効利用できて
体の中の関節をてことして使える。


強力な力みのない清々しい力を出せるようになります。


力まなくても強い力が出せる自信が付けば、
不用意な力みなど無用の長物だと悟ります。


そうするといつも力みながら体を使うような
ブレーキを踏みながらアクセルも踏んでいる、
そんな効率の悪い動き方から離れることができるようになる。


疲れないのです。
無限に動けるんじゃないかなと勘違いするほどです。^-^;


呼吸に合わせた動きをするときには
全身のパーツが程よく合理的に統合された状態に自然になっていく。


そんな仕組みがあるから、
合氣道でも「呼吸は大事だよ」といったところも深いところを観られていることでしょうし、
中国武術のなかの意拳などでは発力する時に特別な声の出し方(試声)を練習し
秘めた自分の力を発揮させるきっかけを得たり。


武芸での超人的な技じゃないかなと思えるような妙技でも、
その技を放つものにしてみれば脱力して発力するというときもあるのでしょう。


それゆえにメンタルで微塵の緊張があれば脱力ができなくなり、
力がいつもほどは発揮できなくてということもあります。


脱力の極意が、発力の極意ですね。




最後に、
「脱力」と「虚脱」はまったくの別物です。


その違いを深く考慮してみることも、
深く物事を考えてひとつひとつ明らかにすれば、
すべてがわかる一歩になるのではないかと思う。


どこぞの偉い先生が「脱力!」というのですが、
ご自身の体の様子が「虚脱!」しているのでは。


それでは浮かばれませんから。


私も自身について厳重に注意したいところです。