体の前面に、眼や鼻や耳が向いている。
それは強烈な情報を集める器官だから、
体の前面がよ〜くわかっちゃうのです。
当たり前といえば、当たり前ですよね。
でも、そうすると体の背面はどうなる?
情報量の少ない「死角」になるのです。
死角とは、何があるかわからない場所。
何が入っているかわからない箱のなかに手を突っ込んで、
そこに毒を持った蛇がいるか、
危険なものがあるのではとか、
認識できてほっとできないところでは恐怖心を抱き、
そこから遠ざかり身を守ろうとする本能があります。
それは過去の学習から覚えた知恵のひとつでしょう。
そんな力に支えられて安全第一で暮らしてきました。
それはとても役に立ってくれているものです。
ですが反面、恐怖心が強くなればなるほど、
それによる弊害も現れてきます。
絵で観ていただく『認識エリア』と『死角エリア』。
実は『認識エリア』の淡黄色のエリアの体の前面には、
皮膚感覚が鋭敏で鋭くなっているという特徴もあって、
それが相まって、体の前面ばかりに注意力が注がれる。
それに対して『死角エリア』のグレーのエリアの体の背面には、
皮膚や筋肉自体に痛みを感じ取る痛覚神経の量が前面にははるか及ばない。
皮膚の感覚とは、非常に原始的な感覚器官ですから、
そこまでが削られていて情報の認識がしづらくなる。
それって、本当に体の背後はまったくの死角にして、
情報をそこから汲み取ろうとはしなくていいのかと、
てっきり思いたくもなります。
ただひとつ言えていることは、
体の背面にあたかも目があるかのように気を配れる、
そういった能力に長けている人でなければ、
真っ直ぐ自然体で立つことが難しいのです。
それは情報量の多くキャッチできる体の前面側のほうが安心ですから、
そちらに傾倒していくことは不安な背後の方に近づくよりも心地よい。
そんな精神状態の安静を得ることができるのでしょう。
感覚的に申せば、
前に倒れている状態で真っ直ぐだと思い込んでいる方に、
それを本当の真っ直ぐ立つような方向へと位置の修正をすると、
強力な認識器官の視力をはたらかせられない不安な方向へ倒されていく恐怖心を覚える方が少なくない。
だが、多くはさほどまだまっすぐになったわけではなく、
前傾具合が少し軽減した程度なのになのです。
真っ直ぐ立つということが、
それ自体が恐怖心を煽るのでしょうか。
本来は軸を垂直にして立てて骨格を強固にして支えの構造を作ったほうが、
ずっと合理的に楽に立てるものなのですが、
そうならないように、ならないように自ずとがんばってしまうようになる。
そこのドツボにハマってしまうと、
自らそこから抜け出ようという気はさらさらもてなくなりますもので。。。
そこがかなり困りものなのです。
たとえば私が注意深く立つときには、
いったん目を閉じて視覚をふさぎます。
すると後ろへと適宜適切に重心を移動したときの怖さは軽減していくのがわかります。
それから、必死に耳をダンボにして周囲の音の情報に気を配り集音していきます。
まさにそれは猫が音のする対象物の方向へと耳をくるくるさせて
よーく聴覚情報をキャッチしようとするかのように。
そうすることで体の背面にある死角エリアの情報を
わずかでもゲットしようとするのです。
そうやって極力、死角エリアの情報量不足を補うため、
背中側のうなじをねこのひげのような触覚的な使い方をしようと試みたり。
想像ですが、体の背面に生えている産毛のようなものたちが、
実は猫のヒゲのような情報量不足を補って余りあるようなセンサーなのだ、
そんな気がしてなりません。
ただ、この背面の産毛のセンサーはエスキモーたちは使えませんね。
寒すぎてもろ肌を脱ぐのは命に関わりますから。^-^;
またはもしも左右の肩甲骨の真ん中辺りとかにもしも眼がついていて背面が見えたらとか
イメージを持ってみたりすることで、
背面への気が密になり小さな物事の変化も見逃さなくなります。
そうして死角エリアという我関せず的な恐怖心を煽るエリアを、
少しでも気を配って感じようとしていくよう務めるのです。
理想は、体の前面で感じ取る視覚を強くしすぎないように、
傍観しているかのような目配りにして、
一点集中のガン見はしないようにする。
そして耳ができれば実際に前後に動け!
とできればなおよし。^-^)
そうやって体の前面への意識が50で背面も50と、
前後が均一になるほど背面の情報量を豊富に集める。
そんな注意力が十分に養われていれば、
もうあなたは背面の空間認識ができて、
そちらに体を持っていくことも安心してできます。
背面という死角エリアを自分の弱点だと気づき、
そこから逃げずにそこを取り込むことができて、
そんなときに自分の身を立てられることを知る。
背面の空間認識ができて体の軸をどうこさえるかなど、
精密な設定のしがいが初めてでてくるようになります。
武術家が、背後からの敵の攻撃も気配でわかるともうしましょうが、
おそらく修練の末、背後の情報を集めるノウハウを身につけていき、
1人の自分(VS)多数の敵、という状況に備えたのでしょう。
合気道などでの達人が多人数取りといった演武をするときに、
ものの見事にテンポよく前面の敵も背面の敵も投げるのをみていると、
そう思えてきてなりません。