体の前後へ取っ手の設置。地面に対して垂直であれ、そして水平であれ

前後の中心軸を把持できている動きを意識していますか?


からだを動かす際に、
肩関節や股関節は、体の体側からカポッとはめこまれた臼状関節。
体側の意識は肩関節や股関節のはまりを正せばわかるはずです。


耳の真横に置かれいるときだけ、
なだらかに左右首筋が美しく伸びてくれる。
肩関節が前に行き過ぎてはよくありませんし、後ろ過ぎてもだめ。
肩の位置が前過ぎれば気づかぬ内に持ち上げていてムダな力を使う。
呼吸効率を悪化させている状態になります。


股関節も同様ですね。


ここまでは、
私どもでは普通に目で見えるところですからわかりいい。


それでは次に体の前後面を考えてみよう。
肩関節が肩を両側から挟み込んだように、
体の前後を挟み込むような補助線を描き出そう。

前後のポール.jpg
3本の前後の取っ手たち 正しい.jpg


私が考えるのは上図。


三本のポールが体を貫通する形で描かれている。


それぞれを持ち手とし、
そこからムーブメントを起こす。
たとえばわかりやすいから、
『回転』をさせてみることにしよう。



『胸骨柄と胸椎1・・・』
こちらの前後に手を軽く握るようにしてもらい、
あたかもポールが刺さっているところの柄を持つようにして、
回転をしてみよう。


すると容易に腕が軽々、首の乗せもよく回転してくれることがわかるだろう。
かなり素早い回転をすることもできるはずだ。
手を動かす際にこの部位の取っ手が前後に入り動き出せば、
利き手に引きずられることなく正確に手の延びを演出できるはずだ。




『心臓部(経穴では壇中)と胸椎6あたり・・・』
上例と同様にこちらの前後に手を軽く握るようにしてもらい、
あたかもポールが刺さっているところの柄を持つようにして、
回転をしてみよう。


胸を向ける方向を強力なトルクを得られつつ感じ取れるだろう。
胸骨柄と胸椎1とは違い、あまり早く回転はできずもたつくが、
パワーと肩関節と股関節の向きを両者が折衷して感じ取ってくれる。




最後に、
『恥骨上端と仙骨中央辺り・・・』
(注:本当は尾椎のほうに取っ手の正確なものがあるのですが、
そこを押さえると骨折等のダメージが及ぶようなことがあるといけないから、
わざと位置をずらしてしていしています。
体感が鋭い人は、それを感じ取れるでしょう)


こちらの前後に手を軽く握るようにしてもらい、
あたかもポールが刺さっているところの柄を持つようにして、
回転をしてみよう。


するとちょうどその部分に重心が落ち着いたかのようで、
体の胴体以上の上半身が虚になり、下腹部あたりが実、つまり充実してくるだろう。
そして股関節や膝関節、足関節など左右差のない様子で気持よく回転してくれるはずだ。
ここは足を容易に動かすための取っ手としても使える部分となる。



上記に挙げられた回転させた際の感覚は、ごく一部を抜き出したものです。
実際に試してやってみていただければありがたいところでしょう。



私が、すばらしいダンサーや武道家などの動きを見て感動する際には、
実際にこのような取っ手が、ライトサーベルのように力のベクトルとして存在を露わにして、
それに見とれてしまうのです。
私には施術をするものの目として、
他人の軸を見取る力は長けている。


すごいな〜。


そうでありたいと思いつつも、そうなるにはどれほど難しいことか!
自分でそれができていないし、
そうしようとすればするほど、
どんどん脳は混乱してしまう。


そこをムリにでも突っ張って、
がぁ〜ーっとそちらに行こうと押していくわけですが、
その際の反動のきついこと、きついこと。。。


たったこれだけの意識だけなのに失神するんじゃないかと思えたことも。


大幅に体の軸がずれている際には、それをこのような流れがいいと
矯正しようとしても現実離れして感覚的には遊離しているから。。。
さほどの、反動はこないですみます。
ぐらつかず、いつもの軸にすっと戻りますから。


でもある程度、方向性を見定められてくると、
あっちにいこうか、ここへもどろうかと、
そのグラつきは本当に心底きついところ。


おそらくそれが詰めなんでしょうね。



私がみる前後軸が右側に過ぎた右利きモードの方の場合。
次のように、私の目には写っていることがあります。


3本の前後の取っ手たち 右利き過ぎ.jpg


体を前後にパッケージする梱包の仕方、とらえどころがよくなければ、
どのように動けば楽か、どこに向かいたいのか、思うように正解がでてきません。
前後に伸ばした取っ手の部分も真っ直ぐな棒ではなくてときには曲がり、グニャリ。
そして水平に浮身をつけるという骨の効いた立ち居振る舞いをできていない状態に。
それに骨に当たる部分を前後で挟み込むのが鉄則ですが、
いつの間にか骨じゃないところを挟んでしまうことも。
力がそれではない。



もちろん体を回転させるときに、こちらに向けるのは楽だがコッチはきつい!とか、
全身を回転させるピルエットなどもブレがでてきてしまうと思います。
胸が十分にはれて前後の幅が作れていなければ、力強い回転もないでしょう。
恥骨上端と仙骨部分に中心を作らなければ、
こちらの足は上がるけど、こちらは難しい。
真ん中の正中線から動き出しが始まります。
そこ以外から動こうとすれば体を正確に中心から割って使うことができない。
それは息を詰まらせるような理想的な操作感を手放したものとなるでしょう。




ただ、、、困ったことに、私も意識を抜くと、このパターンに近づくし、
理想型にしようとすると、めちゃくちゃきつい。
だから座禅をするときに、理想型をさぐります。
木刀を振るときにも、そうします。
簡単な気功の型をするときもです。
いつもと違ったモードになるとき、
その際はきつく当たらずにいます。


体の常態化した姿勢から離れ、
動作を練ろうとしているときは、
新たな気づきをもとに変化を受け入れる受容的な脳が働くのでしょう。


そしていつか、この理想の体の型を全神経が受け入れて、
今までの状態からスイッチした時が楽しみなのです。
生きているうちに、それが訪れてほしいと願います。
気分、いいんだろうな。 ^-^)



地面に対して垂直であれ、そして水平であれ。


そんな幾何学的な美しさを身体内の所作により表現できていれば。


そのような設計通りに体を戻せば、
自分のつかまえどころが安定する。


そうやって生きてみたいものです。 ^-^