皆様、新年、お元気にむかえておられますか?
巷では、インフルエンザが流行っていたり、
そこまではいかなくても風邪で体調悪化へ。
私の身の回りにも多くおられます。
私ごとで恐縮ですが、
私も年末、風邪気味でした。
極力外出を抑えていました。
普段風邪を引かなくなってきたおかげで、
ちょっとでも体調が悪い方に向きますと、
身体操作が思うに任せない。
どえらい体の重さです。
そこで正月はおとなしく、
ゆっくりしていました。
頭を使いたくなかったのでYoutubeで
「のだめカンタービレ」「結婚できない男」等の昔懐かしいドラマを観てました。^-^;
初詣も、近所の神社へ。
例年の歩いて神田明神方面へ、
というお正月の修行行脚は、取りやめました。
そのせいで、正月が来た感じがしていません。
昨日は、風邪が改善し目黒不動尊に参拝。
例年恒例の、新年の護摩行を観に行きました。
護摩木が炊きあがり、火柱がおきるのですが、
不思議と例年よりも迫力がないように思えた。
火柱よりも、火が燃えたときに起きた「煙」。
高々と火元の高さを越えて天に登ろうとする「煙」。
風を受け揺らぎながら形を変える煙に、
しばらくの間、目を奪われていました。
目黒不動尊には、
大行事権現という地主神様が祀られています。
目黒不動尊で唯一、お賽銭箱が設置されていない祠。
小さな祠ですから、さほどお参りされることもない。
巨大な大日如来像が目の前に設置され祀られている。
胎蔵界を表すのがこの大日如来像です。
頭のなかで曼荼羅世界のような意味合いを感じつつ、
祠の前で自分の内側を見つめています。
そのような静かな時間を過ごすことが好きです。
私にはこの小さな祠は、本当に重要極まりない。
そのようなものに感じられてなりません。
ここの祠というものがなければ、
目黒不動尊全体が成り立たない。
おそらく、そうだと思います。
それなのに、目黒不動尊のどの末社よりも参拝なさる人も少ない。
ただお寺のほうでは、当然ながら大行事権現を祀るその重要性を、
きっかりと感じ取ってお祀りをなさっておられる。
その様子は、ありありと感じ取ることができます。
実は、他の大きな寺院で末社があるようなところ。
そちらにもこのような祀り方をしているところが、
いくつもあげることができるのです。
賽銭箱ひとつ設置されていませんが、
気の発し方がはんぱではないような。
そのようなことに気づいているのは、
私一人ではないはずでしょう。
人体の内側に目を向ければどうでしょう?
一般の人にさほど大事に祀られもされず
意識にもあまり残らない場所があります。
体の奥にしまわれていたり、
隠され気味になっていたり、
退化してきていたり。
表面上は密やかな陰になる。
そのようなエリアに火元が。
そして意外に私も含め、
火元を観ず気づきもせずに、
揺らぐ煙のほうを視ている。
そのような傾向が、
人体にも潜んでいるのではないか?
そのようなことは、
やはり、ありありと感じられます。
そこの扉に気づき、鍵を探し出す。
そんなことができれば画期的です。
今年一年をかけて、
それらしいものが見つかれば上々。