『照顧脚下(しょうこきゃっか)』
禅の極意を表す禅の言葉といわれます。
・---意味 はじまり---・
自分の足元をよくよく見よという意。
もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、
まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。
転じて、他に向かって理屈を言う前に、
まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。
また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。
▽「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。
「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。
・---意味 おわり ---・
一般的には、上述したような言葉なのですが、
私が好きで聞いているコーチングの先生の音声には次のように紹介されていて興味が持てました。
「『照顧脚下』という禅語があるんです。
自分の立っているところがわからなければ、スタートラインはわからない。
人それぞれ、人生におけるスタートラインは、それぞれなのだ。
自分の足もとをよく見ることでスタートする地点が、
ゴールに遠いか近いかがわかります。
スタートラインは、誰一人として同じ位置ではないのです。
だが自分の足元を見ることができれば、
いつでもそこからスタートできるのです!」
という趣旨です。
お客様が、施術を受ける初回のとき。
その時点がスタートラインです。
相当に体の知識を持った人でも
体の把握は至難の業です。
他人の粗はよく見えるが、
自分の粗は少しも見えず。
そのようなところからくるのでしょう。
だから同業者同士が施術をしたり受けたりしてみても、
互いに大きな発見がある場合も大いにあります。
ゴールの地点を決めるのは、お客様です。
ただその位置にたどりつくにしても、
スタート位置が見つけられると同時に、
ゴールの地点もどこの場所にあるのか。
そこが明確に見定められていなければ。
ゴールが見定められて、
その上でスタート位置がわかれば、
初めて向かうべき方向性が見える。
そしてゴールまでの距離がわかる。
コーチングは、コーチとの会話をしているように見えるものですが、
実際はコーチを受けるものが胸中で自問自答をするサポートをする。
クライアント自身に目を向けさせ気づきを増やさせます。
コーチがお仕着せてクライアントの方向ぎめをするのではないのだ。
照顧脚下という、足元を見る禅の極意を活かしていこうという考え。
コーチングとは、四六時中、後ろからコーチがついて回るのではなくて、
それは自動車レースをしているときのようなものだといいます。
レースカーはほとんどの時間はレース場のロードの上にいて走り続ける。
ピット・インするのは一瞬だけ。
ほんのわずかな時間でしかない。
一ヶ月のうちの90%以上の時間は、
一人で走らなければならないのです。
だからコーチができることは、
勇気づけをする言葉をかけて、
そして真剣にそのクライアントが夢をかなえられるのだと信じる信者でいつづけること。
職業としておこなっているものですから、
契約期間満了後の100%の時間を一人で走らなければならないときまでに、
どれだけ自分で考え、自問自答を繰り返して、今まで以上に合理的な判断ができるよう
リソースを増やしたり、気づきを得たりすることができるかという、視野を広げるのか。
そのようなことが大事なのだといいます。
そうするにも、どれだけコーチが真剣かという思いが伝わるかどうか。
施術をする私も、まったく同じ思いです。
施術者として接する時間は限られていて、
90%以上の時間は、私がお客様に関われる時間ではありません。
お客様ご自身が、足元を観て歩む時間がほとんどなのが事実です。
施術をお受けいただくというピット・インする状態のときに、
どれだけ真剣に、少しでも多くの視野を増していただけるように、
テクニカルなアドバイスができるか。
限りある時間、密度を高めて接するか。
私にはそれ以上に、尊いことがあります。
それはお客様が健康が増して
「モアベターな状態」へステップアップしていっていただけると信じ続ける。
お客様にそうなっていただけるよう期待してそれを喜びます。
ときにはお客様の状態が、後退していることもあるでしょう。
私の関われる時間はほんの僅かなものですからしかたありません。
ときにはその状態を見て、心底、、、落胆していることもあって、
顔に出そうになるときもあるのも事実です。
人間ですから、感情もあるのです。
お金のためだけではなくて必死になっておこなう施術です。
その気持も手伝ってのことなのですね。
ですが、「照顧脚下だから、今がスタートラインだ!!」と考え直して、
原因を共に探って再度、同じ事にならないようにしていきます。
また、
私のところにばかり施術を受けて頂いて利益をこちらにというのではなく、
他にさらによい医院があればそちらに乗り換えていただいたようなときも、
自分がケアしたかのように健康になられたことを喜ぶ自信があります。
体を磨きをかけていってさらに暮らしやすい生活をして欲しいと真剣に祈っています。
純粋に体の不都合が減っていったり、体の状態がスキルアップしていったりといった、
よく生きるための下地作りのお手伝いをすることにありがたさ、感謝を感じているのです。
それが、私の施術者としてやっている「信念」なのです。
それが実際には、願いがそのままかなうかどうかという
事実がそうはならないときもあります。
ですが、そうなってほしいという「信念」から動きます。
だから毎回、力の許す限り仕上げていく勝負をしています。
今の今まで、そのようにしてきた所存です。
ただ施術上でも思慮深さに欠けてしまうところもあります。
先だってはお客様に多大なるご迷惑をお掛けしたこともありました。
そのことをこの場をお借りして、お謝りいたしたいと思います。
ちなみに、この禅語の起こりは以下の様になります。
『鎌倉時代に三光国師(1271−1361)という禅僧がおられ、
弟子の1人が「禅の極意とは何ですか」と問うと、
ただひとこと「照顧脚下(しょうこきゃっか)」と答えられた』そうです。
自分の足元を見つめよう。
そこの場を受け入れよう。
そこから第一歩を歩もう。
そこに禅の極意がある。
シンプルに、噛みしめたい姿勢を表す言葉ですね。
最後に。
予約順番待ちの受付再開のときが近づいてきています。
次のステップの私のゴールの方向を見極めるところに。
私も自問自答を徹底的に繰り返しながら、
自分の足元を見て、
それからゴールを目指してまいります。
現在の考えでは、
詳細はまだ未定ですが、
2月末に先着30名限定とさせていただくようにと考えています。
あまり多くの人数を受け付けないようにするのは、
先だっての予約順番待ちで長期間にわたりお待たせするのは
やはり私には耐え難いほどつらいことだなと感じたからです。
予約順番待ちの再開をする募集前に、
後日内容を公開させていただきます。
今まで以上に予約順番待ちにお並びいただくお客様に、
忌避事項についての規定を厳密化させていただいたり、
私自身の仕事の方向性からお客様にご不便やご迷惑を
おかけするようなこともあるかと思います。
ただし、私自身は、常に「信念」を持って、
その気持を持っているものがいるんですよ、
ということをわかってほしいというものが。
そこにいるとわかっているから、
たまに、施術を受けてみようかと思っていただけるようなでありましたら、
これ以上の喜びはないですよね。