体の使い方を伝えるときのオートクライン

体の使い方を伝えるとき。


ひとつ、その人に有益な時間が過ごせているかどうか。
見分ける必要があります。


その人の「よくわかりました」という言葉を述べてくれているかどうかではありません。
言葉で肯定的な内容を伝えてくれていても、
理解できていないかもしれません。
逆に、「わからない」といいつつ、
完璧にわかってますよという状態を体で見せてくれるひともいます。 ^-^


そのようなとき【 非言語 】という、
お客様の表情だったりしぐさだったり。
お客様の発する非言語を観察することで、
正確な理解に向かっているかどうかの判断の頼りになります。


言葉は参考程度にさせていただいて、
まっさらな目で観察しています。



そのようなところで、
体の使い方について、
伸びる人と、そのようになる過程の人と。


その差があることに気づいています。


どのようなところに差が出るのだろう?


そのひとつに、
オートクライン』を、
意図的かまたは無意識にでもしているかどうかです。


オートクライン。
ちょっと聞き慣れない言葉ですね。


自己分泌と和訳され生理学的分野から派生しものです。
分泌されたホルモンなどの物質が、分泌した細胞自身に作用することがあります


そんな自分が発した言葉に対して、自分が変化作用されることがある様子をコーチングではオートクラインと呼びます。



人は、自分が発した言葉を自分の耳で聞き、言葉で聞き、それではじめて理解する生き物です。



たとえば、
自分が来てほしいと望んでもいないときに訪れた営業マン。
突然に現れたとしましょう。


あなたなら、どう対応しますか?


営業マンが、
「あなたは私のサービスを受けるようにすべきよ!これを使いなさい!ああしなさい!」
とまくしたてられたとしたらどうでしょう。


脳は高速回転で「早く、ここから立ち去ってくれ!」と訴える感じでしょう。
あなたはその営業マンの説明を聞いていないし、聞いていてもまったく理解していない。


自分が必要で呼んだ営業マンならまだしも、
望まぬタイミングで営業マンに頭ごなしに説得されても、
あなたの脳は営業マンの言葉に耳を貸さない。
傾聴すべき内容でも、
そこでの営業成果はえられない。


あくまでも、
自分の脳が
「じゃぁさぁ。営業マンのあなたが提示してくれる内容はこれこれ、こういうことで、
私がそれに従うと、こんなメリットがあるっていうことだよね」
と自分の言葉で発したとき理解したことになるのです。
自分が理解すべきものだとマークが付けられたのです。




体の使い方をお伝えしているときも、状況は変わりません。


アポ無しで話をまくし立てる営業マンとして聞こえているか、
自分が呼んだ自分の味方と思っている営業マンが来たのかは、
その2つの状況差があるのです。


後者の味方モードで意識できたほうが、
得られるものは多いいのは当然でしょう。
限られた時間に伝えられることは一部です。
その言葉は、私なりに選ばせていただいて、
説明を心がけていますが。


もともと体の基本的な利用法は、
その状態をちょっと前まで持っていた人に思いおこさせるのは容易ですしこともなげに体が反応するが、
かなり前にその状態を手放してしまった人には難解ですから心していないと得られるものは少ないはず。


重要極まりないことを伝えているつもりですが、
まさに重箱の隅をつつくように聞こえるときも
そのときのコンディションや考え方の様子では
起きてしまうものも致し方ないところですから。


言葉で復唱していただき、
そのときにまさにオートクライン状態で、
自分のものにしているお客様もおられます。
私の言葉の真意を理解しづらかったとしても、
自分にとってその後の動き方の気づきの視野を広げるためのひとつの引き出しとして、
受け入れていただけたわけです。


それ以外にもオートクライン状態になられている方もいます。
さきほど私は非言語での会話が成り立つものと申しましたが、
私が説明をさせていただいるときに
話をお聞きしている方の表情をみる。


するとまばたきをなさるときに、
眼球がちょっと上の方にクリッと動いていたりすると、
「ラッキー!!」と思っています。
過去の記憶のリソースと提示した条件を結びつけようとなさる脳の思考が働いており、
そのときにオートクライン状態で、
どのようなことを説明されていたかについて把握する言語に変えてくれたのですから。
その後の話を続けても、時間は生きます。


脳は常に高速回転で判断をする要件を取捨選択しているものです。
一分間に無意識下で数千もの課題が出されては消えていくという人も(個人差があるんでしょうね)。
その高速回転上では判断はぽっとでてさっと流されて次へ次へと意識や注意力は瞬間に流れるのです。
その高速回転で働き続ける脳に、待ったをかける瞬間がオートクラインです。


オートクライン状態で、
自分の言葉に変えて言われ説明をかいつまんで概説するときに、
自分にものを教えて理解させていることになっています。
そのときに今まで考えてもみなかったことが思いついたり、
過去のリソースという経験した意味合いが似たものが思い起こされて、
「あっ、わかった!」というひらめきの経験を向かえます。


皆様も、そのような経験ってありませんか?


私のような拙い体の使い方の説明はさておき。
高名な実力ある講演者の話も、
ただ聞いて感動しただけでは消化不良状態です。
その講演者の話の内容を自分の言葉に置き換えて、
誰か別の人に講釈を垂れるというオートクラインのきっかけがあれば、
そこから引き出せるものは多大で得るものは多くあるでしょう。

理解するということは、自分の言葉で表現をしなおして、
それを自分で飲み込んだということなのかもしれません。


ただ、ちょっとがっかりなときもあります。
まぶたを閉じた際の一瞬に眼球が下の方に動いたならば、
早々に話を切り上げるべきでしょう。


そうなったら、
ちょっとやそっとでは説明を伝える状況を
リカバリーできるものではない。
施術の機会は限られた時間しかありません。
そのリカバリーにあたふたした時間を使う。
それで施術時間や施術への集中が切れれば、
よくありませんね。


以前と比べると減少しましたが、
ですがまれに起こることは事実。


そのようなときは、
私自身ではなくて
相性のあう他の体を使い方を教えてくれる先生のところへいかれるよう勧め、
私は施術に徹していたほうが得策でしょう。


「実利を得るには」と課題を優先すれば、
そのような駆け引きが必要になります。




人は、そこに突っ込んで探っていけば面白いことが起こると、
そう、信じれば、それに関連する情報を勝手に集め出します。
脳には、そのような機能が備わっているのです。


まったく関連のない作業をしていたときにも、
自分が考えあぐねていた課題のヒントとして、
気づきのツール化してしまえるのが脳力です。


そして、
オートクラインが、その引き金になるのです。



お客様が、体の機能的な自由を獲得して成長していく姿は、
私には感動する映画のワンシーンを観ているかのようです。


まだまだ至らないところもありますが、
そこを目指して行きたいと思ってます。