隔膜を感じ整えることへ

中央構造線断層帯』をご存知だろうか?


九州から関東まで貫く断層帯だ。
その断層帯の上には、多くの神社仏閣や神社、
それに聖地と呼ばれる場や、
ゼロ磁場とも呼ばれるヒーリングスポットなどが点在している。


それは九州熊本の幣立神宮や愛媛の石鎚山
和歌山の高野山然り、三重県伊勢神宮しかり、
愛知の豊川稲荷や長野の諏訪大社、そして千葉の香取神宮に茨城の鹿島神宮



断層帯では、上下2つのプレートがぶつかり合っている。
それがもしぶつかり合う力のベクトルがそれぞれが直行しない場合は、
断層面部分からプレートがずれだせば、動きが生じることだろう。


ぶつかり合う2つの重なるプレートの力が拮抗していれば静止している。
それではひとつの実験です。
胸の前で合掌し合わせた両手に精一杯のパワーで圧してみよう。
すると重なる手と手は動かずにフリーズしているが、
強い力の場が合わせられた手と手の間に生じていることもわかるだろう。



そんな2つのプレートが合わさった場所でも特別なところに、
上に挙げたような神社仏閣や聖地やゼロ磁場が点在する。
水晶や花崗岩等が地中でぶつかることで、強い地場エネルギーがほとばしる。
そのような地に、聖地といわれるような祭祀すべきものと感じ祀ったのだろう。



ふたつのプレートが重なる場に、
力が吊り合い動かない状態だが特別な力が生じる場がでてくる。
その重なりの状態により磁場エネルギーの様子がより強まることがあるのだろう。




そして私の目には、
人体にも中央構造線断層帯のような2つのプレートの重なり合いを感じられる。


人体にてみてとっている断層帯とは、
重力という天地を直行する力により創りだされたものだ。


それは『 隔膜 』という名で呼ばれている。
隔膜とは地面に対し水平を保つ筋肉の層です。


たとえば、代表的に知られているものとしては、
ひとつには横隔膜などがあるだろう。



人体の断層帯といえるような隔膜には
下図のような隔膜が人体には点在しているのだ。


隔膜の上積み関係.jpg
(図 隔膜イメージ)




すべての隔膜は呼吸により上下動するという特徴がある。
それこそ隔膜を挟んで上下に2つのボディユニットが、
あたかもプレートが静止を拒み押し合いしながら生命の息吹をあらわす。
隔膜の存在は、
2つのプレートが重なり合わさる断層帯としての特別な力を秘めた性質を持つ。


実際に私は図の隔膜の位置を瞬時に読むことで、
その人の生命力の高低や改善点などを把握する。
そしてそれはチャクラ等の生命の役割の判断と同様に、
それぞれの各隔膜も個性的な役割が存在しているようだ。



ひとつ、隔膜を活かすためには条件がある。


2つの部位を断層で重ねて一体化させるには
パーツごとの軸が重力線で一括りにできるようあわされなければならない。
2つの部位の軸が一体化するような構造体にすればいいということだ。
そこに私の施術の人体への構造体へのこだわりと成果の秘密がある。



少し特殊なところを考察すれば、
胴体部分と左右の脚部というものは、
ふたつに脚部へと力が分解された上で釣り合うようになり、
複雑なかさなりをそこに見出して形成しなければならない。
ただここも力学的に考えるならば中学生レベルの知識で説明がつく。



胴体の腹部と胸部をつなぐ横隔膜のような
シンプルに上下に連なる部位を想像してもらったほうがわかりやすいだろう。


下図を観察していただければとお願いしたい。


隔膜の軸の直行と軸ズレと.jpg
(下図 軸が直行したケースとずれたケース)




重力により正しく重ねあわせられた左図は上下で釣り合う様子が見えるだろう。
それに対し右図は重なる部位の軸がずれて直行していないため、間に挟まれた隔膜部分はやや斜めになってしまうような傾斜状態に陥って、上に位置する部位が角膜上を滑り落ちていく。


このときになにが起きているのか?



呼吸が、隔膜が傾斜している状態に比例してしづらくなっているのだ。



それにより生命力が低減してしまっているように感じられる。


そして不安定な重なりがあるならば、
確実に傾斜で落ち続けようとする上にある部位を支えるため、
滑り落ちないような手当を滑り落ち防止担当に無理やり任命された筋肉部位が
隔膜が傾斜し続けるあいだ、
ずっと、筋硬化を強い続けて筋膜の癒着を創りだす元凶となってしまう。



対して左図の上下が厳密に釣り合いがとれた状態では、
あたかも中央構造線断層帯で見えるようなパワースポットが身に発動し、
優れたその自然体からすばらしい肉体的なエネルギーを発揮するようだ。
そんなエネルギーの高まりを感じるために、
自らの体内の隔膜の聖地にたどりつこうとしやすい場に足を運ぶようにしている。
それは私が神社仏閣で手を合わせたり、
気の力を身体内部で強めるように意図したエクササイズや気を鎮めるときだ。



私にはそのような自他に備わる力を
直感的といえるのだが感覚的に察知しているよう感じている。



人体の隔膜を断層帯ととらえていくたとえは、
見方としてはあまり聞かない独特なのかもしれない。


これは私個人の蓄積した知恵からは生じた見方で、
私には手触り感覚でで感じられ、
利用価値は高くしっくりくるものだ。