「なぜ?」とばかり問わずに、「なんのために?」 と自問自答をしてみよう!




なぜ?」とか「どうして?」とか。

原因を追求する問いかけ方
があります。


こちらを原因追求型の原因論的問いかけといいます。



それに対して、
それはなんのため?」とか「それをだれのために?」とか。


何を目的としてそれを追求するのかを問いかけるとき。
こちらは目的を追求する目的論的問いかけといいます。




実際はどちらが優劣があって軍配があがるという問題じゃありません。
原因論的な質問」も「目的論的な質問」も、どちらも大事なんです。


要は、ケース・バイ・ケースで、使い分けが必要なんですね。



たとえば、
原因論的な「なぜ?」と問う質問により情報をいただきたいとき。


私が初回のお客様のお体について話をお尋ねするとき。
尾骨の骨折】と付記していただけたとすると。




私:「 なぜ、そのようになったのか原因はわかっているのですか? 」


お客様:
「 私のこの尾骨の曲がりは、
  10年前に遡るが、
  学校で先生をしていてスリッパを履いて廊下を歩いていたのだが。
  いきなりそのスリッパが脱げていきなり長座で座り込むかのように尻餅をついた。
  そのときがかなりの激痛で、数日間高熱を発して寝込んだことがあった。
  もしかしたらそのときに曲がったんじゃないかと思っている。
  それからが、いまだに体全身の調子が悪くなったのだ 」


私:「 それはかなり強く尾骨を打ち付けてしまったのですね。
    具体的には、お尻のどこにどのような形でお尻を打った形になりますか? 」


お客様:
「 えっと、もう昔のことで正確には覚えてはいなけど、
  こんな感じでしたよ。
  (尻餅をついたときの状態をリアルに再現してくれている)
  そして右側の坐骨部分に衝撃が走ったことを覚えてます 」




これは尾骨骨折という過去からの結果といってよい現状の様子が、
過去10年前に尻餅をついた際から起きたことを教えていただけた。



これから私が過去の尾骨骨折をなさった方の情報を元に
目の前のお客様の様子を推測する一部を挙げれば、、、


・ 昨日今日に起きた尾骨骨折ではなく、10年前からの慢性的な不調を伴う状態だ
・ 現時点も全身の調子が芳しくないのだが、尾骨骨折が生じたときを起因としている
・ 右側の坐骨に衝撃を受けたため、
  そちら側の仙尾関節側への緊張が根づいたまま今に至るだろう。
・ 10年以上も慢性化した状態だから、
  すでに体の歪みには複雑なパターンが入り込んでいるに違いない
・ 尾骨の不調は脊椎全体を萎縮させ、
  自律神経系を不調に陥らせ、交感神経優位のまま一日中過ごすこととなる。
  それにより、
  呼吸のしづらさやときには不整脈や冷えのような血液循環の悪さがあらわれる。
  睡眠障害を起こすことも多い。
  それで体内の生命エネルギーが徐々に減少し枯渇しだす頃には
  精神的負担感が現れてくる。


そのようなことを推測することで体へのチェック項目を的確にしていきます。
かつての施術で別のお客様の対応をし発見をした経験的にもとづいて得られた知識。
そちらを活かせるならば、施術での解法が進みやすくなります。


ただ盲目的にかつての他者の肉体条件というまったく違った状況であるため、
信じ過ぎは厳禁です。
ただかつて改善できたお客様との共通項を見つけられると
その際に目の前のお客様に説明をさせていただけるときに役立つものです。
自身の体のイメージが想像がしづらい状態でいるよりも、
精神的に類似したところが改善したという人もいるんだってという例示に、
少しだけの希望を持つことができるということでしょう。


結局は、各人の体の状態は百人百様で、
それぞれの特性にあわせた鍵があって、
他人で開く鍵をさして回してみても回らないことも多いので、
私どもが事前に提示することができるというものは、
単なる希望的推測に過ぎないことなのです。


私はそう思っておりますので。。。



ただそうはいっても、
なんらヒントもない状態で解法を求められるよりも
過去の状態を今に至る原因と捉え、分析することで、
敵を知り己を知れば、、、、ということは言えていますよね。


どのような忌避事項があるだろうとか、
どのようなアプローチ方法があるだろうかなど、
過去に患われたときから今に至る原因を伺うことで、
読めてくるという部分があるので、
それはお客さまにとってみても問題解決に有利に働く情報提供になることもあります。



施術を受けるときには、
上述したように尾骨骨折を患った状況をお伺いすれば、
益が生じるということもあるだろう。
確実に、原因が起きた際の現場検証をすることで、
施術者でなければ知り得ないような情報がはじき出されていく。
そちらが施術という手当に活きていくものです。


それにお客様が施術を受けていくうちに
「あっ、そういえば、伝えたことはなかったことを思い出しました!」
というひとつの重要な情報を提供していただくことで、
その後の施術方法がガラリと変わって、さらに的を得たものになることはよくあること。



もちろん原因論的に情報を得られたとしても、
そこから安易にわかったとはいえないものもでてきます。


たとえば安全に解くための手間暇がどれだけかかるものなのか。


実際はお客様が施術を通っていただける間隔や、
お客様自身がどれだけ体の立て直しに協力的かどうかなど。
それに私自身の健康状態等に問題が生じる時もあるでしょう。


いくらだって不確定要素があるにもかかわらず、
そこに気を配らずに言葉として放つのは、
目安が欲しいと希望なさられる気持ちはわかるものの、
正確な回数等は私には知り得ることはできないのです。


そのようなふうにいろいろと原因をお伺いするにしても、
それを活かせる限度はあるので申し訳ないところもありますが。。。



施術者が施術をする場合には、原因論的に
「なぜ、その症状が起きたのでしょうか、原因は思い当たりますか?」
という質問にも一定量の価値が生まれることもあると思える点です。



それでお客様のお体の情報を差支えのないところをお伺いするのですね。







ですが、「なぜ?」とばかり原因を追求する問いかけからだけでは、
今後の問題解決につなげにくいときもあるのではないでしょうか?



たとえば、尾骨骨折で患われた方に、


「なぜ?」という質問で短絡的に問えば、


「 あのときなんだか馬鹿なことをしたんだよなぁ。
  スリッパといっても古くなって、底がつるつるだったし。
  床が濡れていて滑りやすくなっている感じだったし。
  ほんとうに悔しいなぁ・・・・   」


そんな後悔の心がもたげてきて、肩は震え意気消沈してしまう。
問題解決へ向かおうとする問ではなく、
いつしか感情的に自身を責めたり不幸感を深掘りする。



過去の失敗を根掘り葉掘り聞き出されるのは
なんでそんなことになってしまったのかと後悔。
絶望的な問答を受けているようにも感じられ、
感情エネルギーは他への注意力を失わせる。
その感情エネルギーの消費ほど疲弊感を強め、
自らの活力を失わせるものはありません。


そのときの一瞬の事故にあわなければ、
今の自分は、
こんな施術者と話をするなんて煩わしい経験をすることなんてなかっただろうに。。。


そんなつらい思いを強いてしまうこともあったと反省しなければならない。
そう私自身を振り返る時もあります。



ただ、施術者たちだけが、
「なぜ?」と患った原因追求をする問を投げかけ続けているわけではありませんよね。






お客様自身の心も、
知らず知らずのうちに
なぜ?」という原因に目を奪われてしまう


「なぜ、こんなことに・・・」
という言葉の繰り返しをすることがあります。



「なぜ?」と原因を追求しようとして。
どれだけの益があるのでしょう。


長年に渡り患われた方は、
多くはもう十二分、同じ原因論的質問の仕方で自問自答を繰り返してきたのです。


それでも、かんばしい結果が出てこないだけでなくて、
「なぜ?」と問うて、
妥当な回答が得られずに落胆する経験を積み重ねてしまう。
後でずっしりと未消化の感情のすすが溜またことに気づくのです。


お客様自身が自身を責め立てるかのように
「なぜ、こんなことになったんだ」という言葉が
脳裏で囁かれたり叫ばれたりする。


その声から心が乱されて、
意気消沈させられた状態に追い込まれてしまう。
それがもとで建設的な行動へ出にくくしてしまうこともある。





もし、そうであれば
「なぜ?」という原因を追求しようとする問から
一旦離れる時期がきたのかもしれません!






私自身も、
かつてコーチングの考えを学ぶ前では、
自身の体があまりにも施術でしんどくなりすぎて、
多くの期間の休業を余儀なくされたときには。。。
「なぜ、自分一人だけが・・・」と孤独な孤立したような閉塞感から。


自分の要領の悪さや能力の低さを責め立てた日々を続けたことがありました。


そのようなあまりにつらい状況に心身が陥ると、
防衛的反応を起こさせて、
他の方々のもっとつらいだろう方々の状況を察する余裕がなくなっていたのかもしれません。


それ以上の傷を深めさせないように、
生への執着もあって生命を守るための極端なまでの省エネモードで意識も体も操るしかないという、
問題解決には程遠い抑止の機能が強制的に発動しだしていたようです。
脳で自動的に作動される、生命の危機を回避させようとするために起こした生理的な反応で、
身を守っていたということだろうか。。。




今、その当時を振り返ってみて。


もし、そのときに自問自答の質問の仕方を、原因論的な「なぜ?」から、
目的論にもとづいた「なんのために?」へと問を変えていったらどうだろう。



そう、考えてみたことがあります。




未来に得るためのしあわせにだけ、目を向けるのです。



そこで自身の感情に情熱が燃え盛るようなものも見つかるでしょう。
元来、施術者になろうというもののほとんどは、
自身のみを省みるよりもお客様にかかわり、
少しでも良い方向へ進んでいただけてともに喜びたい。
そんな動機から、この業界に入ってきたものばかりです。


私も、ご多分に漏れず、そうです。 ^-^



一生涯をつらぬく仕事を持つことの尊さ。
そこに施術を、私は選んだのです。


なにを、これから私はしていきたいのだろうか。成し遂げてみたいのか?


そのような、今日はこれをやりたいとか明日はこれというタスクレベルではなく、
自分の生きていくための根っこの部分を掘り下げて再確認していこう。
そうしたほうが、ずっと、気持ちが建設的にもなれる。
自身の過去を振り返って失敗を悔やむのではなく、
つらい経験こそ学びの教材として最良の糧となるといいきればいい。
おそらく実際にそういうものだろうと思います。


だったらなんらかの失ったものも多くあっただろうが、
反面、得られたものも数限りない貴重で価値のあるものもあっただろう。


そのような解釈で自身を振り返る習慣が、
ここ最近の私にはありますから。


正直、打たれ強くもなりましたし、
大胆に次の手を、次の手をと進もうとする勢いも得ることができました。



そして、
「何ら制約がなかったらどうなりたいのか?」
いきなりそんなことをいうと、現実的ではないと思われるでしょう。


ですが制約ばかりでがんじがらめの夢からは
確実に最初から夢をしぼんだ絵を描きだすだけ。
脳はしぼんた設計図以上のものには関心を向けることもなくなります。


だから、「自分が何のために今の苦境を乗り越えようとしているのか?」
または、「自身の問題が改善したら誰のために幸せをよぶのだろう?」


そんなことを想像しながら、
だいぶ体がヘタってきた時も
日々を前向きに送るように心がけています。



過去に起きたような過ぎ去った事実にばかり目を向けてはいませんか?


そちらの意識チャンネルから切り替えて、
未来に起こしたいこれからの幸福な姿を得ようとすることに意識を向ける。




向かいたい方向性を明確に描きだす。


実はこれは『 ソリューションフォーカス 』と呼ばれる、
コーチング手法の一流派で用いられるステップのひとつなのです。


ソリューションフォーカスの詳細はその書籍やセミナー等に譲りたいと思いますが、
実に使い勝手のいい、自身をやる気にさせてくれる手法だといえるでしょう。





たとえば、
ソリューションフォーカスを利用するコーチに
コーチングセッションを依頼された場合には、
次のような幾つもの段階のステップを経て手順を進めて、
解決志向アプローチをなされていくことでしょう。



〜 ステップ 1 〜


もし多年に渡り苦しい身体の状況を耐えながら、
ずっと今の今までがんばってくぐり抜けてこられてきた。
コーチがいれば乗り越えてきたかつての努力に対して、
話を聞かせていただいて、
「よく、がんばってこられました」など、
その方が送られてきた今までの人生で感じた感情を伺い
親身な言葉を語り、互いに目的の共有へ向けての序章がはじまります。

それから、、、



〜 ステップ 2 〜

「今後向かいたい方向性は?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】



〜 ステップ 3 〜

「あなたは、なんのために、その状態をよくしたいのですか?」
「それがどうなればいいのですか?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】




〜 ステップ 4 〜

「それならば、それを叶えるための使えそうなアイデアやモノや人材は?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】



〜 ステップ 5 〜

「その解決へ至るまでの距離は、現時点からどれくらいなの?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】




〜 ステップ 6 〜

「じゃあ、その解決へ向けての小さな第一歩って?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】



〜 ステップ 7 〜

「その小さなステップを登ってみて、どんな変化が起きた?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】




というような流れを基本にして
順次解決へ向けて進みつづけるために
協力し合いながら進んでいく。



その仕組通りにやってみて、
得られる価値に驚きました。



私は少しも優秀なコーチではなく、
これからもっと学ばなければと思うところなのですから、
なっていないところも多いのですが。


現に優秀なコーチにコーチを依頼して、
そこにクライアントも自身の未来を素晴らしい物へと描くよう務められれば、
明るい気持ちで問題解決へ向かい意識を集中していく助けになるだろうと思います。
やはり自分一人でノートで筆記するだけでは、
いつもの自分の殻から外に出ていくきっかけはえられない場合がほとんど。
それがプロコーチとして結果をだそうと、
クライアントの将来を飛躍させられるような言葉を発してくれたら、
逃さず最大の笑顔で
「あなたは、素敵じゃないですか!そういうことをなさりたい人なんですね」
と感情を込めてクライアントの意識に深く刺さるように
前向きで建設的な方向へ考えるのが自然に思えるような
強力な波を起こして乗せて行ってくれますから。
コーチという他人が関わることの凄さって、あるんですよね。







以上、かなりながながとした長文。
かつ読みづらい文章をお読みいただけたことに、
深く感謝いたします!!



「なぜ?こうなってしまったんだ・・・」という自問自答は、
やり過ぎれば、負のループスパイラルに陥るときもある。


もしそうなっていそうだと感じられたなら。


ぜひ、そこから抜けだして、
「何のために?」というこれからへ明るいスポットライトを
必死に照射して未来を描いてみませんか?


そして口に出した夢へと進むための
ほんとうにささやかすぎるほどのスモールステップを
時間をかけながら着々とこなし進んでいく決心をしましょう。


ちりも積もれば確実に山になるんです!!



慢性化した疾患や、
心的なトラウマ等を持っておられる方には、
原因論的に自身の体の様子を捉える傾向があるように思えます。


それに当たりそうもない方も多数おられるのですが。


こういったソリューションフォーカスのようなコーチングセッションを
幾度か繰り返しやっていくうちに、
考え方や思考グセが、
いつしか感情を傷つけることもある原因論偏重から、
結局はしあわせを求めて人は生きればいいという目的論へ。


だんだん思考慣れが始まっていきます。





そしてこれまたケース・バイ・ケースではあろうとはおもいますが、
目的論的な見方で自身の望む未来へスポットライトを当てて
そこを丁寧に観るようにしていったほうが、感情のストレスが減る。


おそらくそんなのも手伝ってか、
かなり原因論から練習で目的論的思考慣れをしておくと、
体の筋肉の緩み具合も調子がいい状態で維持しやすいようです。


逆に慢性的な患っているところがあったりしつつ
原因論的に自身を責め続けようとする習慣があると、
こころなしか感情エネルギーの浪費から心も疲れが出て
体の緊張も進みやすいように思えるのです。





これは直接的に圧をかけて施術をするというようなことではありませんが、
私は自身の思考パターンの最良化を試みた分だけ、
身体もそれに少なからずリンクして調子が良くなるように思えてなりません。