姿勢選択の自由(こちらがゴールであり、はじまりでもある)

地面に対して垂直に立つという「グラウディング」のイメージが
知的かつ実践的に深まることが大事なことだと思います。


ただここで私がイメージする状態とは、
一般的にいわれる「身体を上下に引っ張る」という、
アバウトで必要な情報が抜け落ちているレベルの話ではありません。


外形はどのようなものか。
先日、私が合気柔術セミナーで教えていただいた合気をかけようとする際の立ち方。
そちらによく似ています。


全身の骨格と腱と靭帯を柱とし、
大腰筋含む姿勢制御筋で倒壊を防ぐ姿勢補正力を発揮させて立つ。
それに近しいところがあります。
このような立ち方をするときに、
身体的な基礎力が養成されていること。
それは全身の筋膜単位の相互関係で体の局所から全体を統括できていることもひとつ挙げられます。
局所の動きを体の全体で支える吊り帯が体の中で自然に作られて作用する状態を作り出すのです。


この状態は「屈筋群」を一部でも利用してしまえば機能できません。
「伸筋群」を巧みに意図的に使えばできるところでもあります。
実際は「伸筋群」と呼ばれる筋肉も、筋力を使うならば疲労が蓄積するので、
そこの作用も出し惜しみすべきだと言われます。
自身の身体の重さを運動のエネルギーへと転化。
それにより筋疲労が大幅減にもなりうるのです。


ただ、重みを利用する前に、
個人的には無意識に「屈筋群」ばかりを使う状態から
「伸筋群」の利用意識を持って身体操作を再構成させていくこと。
まずはそこができていなければ、話にならないような気がします。


なのでまずは日ごろから「伸筋群」を使えるよう修練が必要です。
それはたとえば木刀の素振りを工夫して「伸筋群」を有意義に利用して繰り出すようなことが
自身の身に「伸筋群」の動作を運動神経系にしみこませていくトレーニングを積んでいくのです。
そこでは100回素振りをすれば100通りの工夫をいれた打ち込みがなされる必要があります。
まんぜんとワンパターンの素振りの動作を繰り返してはなりません。。。


そんなことを注意しながら「伸筋群」の利用感覚を磨いていきます。


そのような姿勢を整えつつ行う素振りで基礎力が身についていくと、
自分の身体が地球とのどのようなかかわりを持つかという関係性も感じてくることでしょう。



ただし、ここまでの状態を自在に自身の体を制御して作り出せる人はあまり多くはありません。


ひとりのお客様で、
日ごろから素振りを修練のひとつの項目として取り入れておられ、
サトルムーブメント系の自身の体とのおしゃべりが上手な人がおられます。
その方に私がいくつかの腱や靭帯を使う意識を誘導していくと、
まさに伸筋を巧みに使う状態で立たれていました。


私はその姿勢が理想系で正確さにも驚きました。
今まであまり見たことがない私好みの姿勢です。


姿勢選択にかかわる仕事にこだわり続けて、何かの結実を感じた。



グラウディングは身体と脳を直結し、
身体的機能美を表現する土台になる。
そしてそれは潜在的に鋭敏な重力に対しての感受性を高めてくれるものです。


人間としての生命力の根源を探りだすには、
そこがたどり着くべきゴールでもあり、そこからがはじまりでもある。


または別の言葉で表現すれば、
身体的運動能力の性能を発揮するためのゴールでもあり、はじまりでもあるといえるでしょう。


私は今まで、
施術とは体を動かしやすくするための下地作りだといい続けてきました。


実際は、身体の運動能力が機能的な身体操作の上で操作されておらねば、
そこから自明の理のごとく肉体へネガティブな負担の蓄積がおこるから。
そこに手あてをすることで、永続的に調子のいい身体状況を維持したい。


そこに手抜かりがあれば、真の健康を手に入れることはできないと思う。


そのようなこだわりを持ちながらも、
どのような取り組みとして機能的な身体操作を学べるものなのか。
私自身もいまだに自得の成果を言語に落としこめてはおらず、
日々の研究で試行錯誤を繰り返し固定したアイデアにはならない。


そんな状態が続いている何十年のことでしたので、
みごとにお客様が「伸筋群」を活かして立つ瞬間を目撃したとき。
うれしいものでした。




ここからはあまり私自身が口に出して言うべきではないとはわかっていますが、、、。


基本的には私が動き方を伝えることで、
そこから金銭的な利潤が私に生じるわけではありません。
別料金をいただいて体の使い方を伝えるかどうかを選択してもらっているわけではありません。
おそらく施術だけおこない体の使い方については、概要をプリントして渡していくのでもいい。
一般的にそのようになさっておられる施術院は多く、
それでも十二分に丁寧だとお客様は認めていただけているケースを多数知っています。
そのようにすれば数時間かけてひとつのことを積み重ねて解説することもなく、
長くても10分程度でおつたえすることができるものです。



施術者として、施術だけでけっこう体力的にハードなため、
ときには解説中に意識が遠のくこともあってしんどいとき。
微妙に声が出ていなかったりかすれていたり、
目線を上方に向けて考えるふりをして呼吸を整えてみたり。
お客様も施術を受けていただいた後に、
血行が激しくなって頭がボーっとしていることがありますが、
私も疲労で同様な状態に陥っていることもあります。



ときには「体の使い方など教えてくれなどとは頼んだ覚えはない」と怒鳴られたこともある。
「あんたは、施術だけやってればいいんです。余計なことに時間を使われて迷惑だ」という。
多分にそのような考えの方は、私の施術を受け続けてほしいとは思わないので、
以降の施術の依頼は私からお断りさせていただきましたが。。。
ただ私のガラスの心がずたずたにひびが入ったのは確かです。


そのようなとき。
自問自答で、「はたしてこうすることが自身のしあわせに、つながっているのだろうか?」
真剣に思い悩み、苦しく感じることもあります。



そのようなドタバタした状態ではありますが、
私の体の使い方へのアドバイスは最初から完成したような完成度の高いものではなくて、
ひたすら研究して徐々に理解を深め構築したものをお客様に伝えていくことの繰り返し。
それを愚直に続けていきあきらめずに進んでいくしかない。


おそらく私と同様なことを粘り強くなさっておられる方も、
どこかにはおられると思います。


ただ私が得ようと目的としていた最終地点と同じ方はいない。
そのような気がいたしております。


伸筋群を活かした立ち方をお客様がなさり、
今年一年の締めくくりに、
私が狙っていた何十年もの立脚の夢がかなえられた感じです。
形を見ることができて、浮かばれました。。。




私にとって施術とは、
このような姿勢で立つという選択ができるようにするための、
有用性の高い道具となります。


私自身、ほんとうにからだが誰よりも弱くてへたれだったが、
どうにか立ち方を靭帯や腱を使い、
同時に地球との感覚的な接点を深め、
かつ瞑想上のイメージにより肉付けした立ち方ができるようになったとき。
まだまだ未熟ではあったが、実際に私自身の身長は4〜5センチは伸びて、
頭部の形状も変わってきた。
それに免疫力もあがったし。
そのときに月に何度も風邪をひいて寝込んでしまっていた弱かった状態に、
さよならをつげることができた。。。


そのような変化を自身の内部で感じてはいたが、
それがどのようにおきたかを人に言語で伝えることは難しい。
そこは外見のすりよせで伝えるだけでは意味がない、
内部感覚からその詳細で言語化が難しいものを共有できるかどうか。
そのようなところで難儀し続けてきたのです。



今回のお客様の立ち方の様子が起きたのは、
こちらのお客様の感性の鋭さや日ごろからの伸筋を用いた修練の賜物があってのことだと思います。


残念ですが、今はまだ他のお客様に容易に再現性がでていくものではないでしょう。


ただし私の中では、今までの伝えようとしてもうまく成果がでないときから、
ひとつ大きなステップを上るための知恵が増したのは確かだと思えています。
この経験値はそのお客様にいただいたものでもあり、
同時に他の今まで接していただいたお客様にもかかる感謝の念が募るものです。。。


個人的なことですが、
最近、ちょっと二胡を習いにいこうかなと考えているのですが、
私自身の立ち方の状態の気づきが少なからず増したものですし、
以前に独習で挫折したところから変われそうな気がしています。




新たな姿勢を受け入れ選択できるようになることで、
私の施術の締めくくりという「ゴール」となりますが、
お客様にとりまして新たな自身の身体操作を再構築して活かしきるための「スタート」になるのです。