施術中に、本人の意思とは関係なく体が動いてしまう時ってあるんですよね。

施術中に、本人の意思とは関係なく体が動いてしまう時ってあるんですよね。



私が施術をしているときにも、ある特定のお客様は、特に施術の回数が初期段階のとき。
お客様の意識が落ちて寝入っているように周りからは見えるのだが、
私の「すいません!今度は、仰向けになっていただけますか」という声には完璧に反応しているので。
実際は意識が行き届いていて気づいている状態。


だけど、体の機能だけ、いつもの興奮したままの交感神経優位の状態からすっかりはなれている。
とても深くリラックスをしたような脱力を示しているかと思えば、
急に顎がカチカチカチと噛むような動き、
肘や、手の指や、肩や、骨盤や足が、本人の意思ではない動きがおこる。


それは、珍しいことではない。
自分で自分の体の状態を感じ取って脳へと神経を通じて教える感覚器官があるのだが、
その感覚器官がしっかりと自身の体を24時間モニターできている状態であれば、
そのような動きを施術じゃなくてもしているわけです。
起きて意識があるときも、そのような反応は薄いものだが出てくれていますが、
実際は脳波が深くα波以下の落ち着いた段階にスライドした時に起こりやすいと言われています。


隣で人が寝ている時に、その人を観察すると、ピクピクとどこかが動いているし。
寝返り行動のなかにもそのような体の内側の筋膜系統の詰まりを自己開放させて
修正をはかるような対応をしているものです。


実は私自身、近所の八幡様にいき拝殿前で手を合わせると、
かならずこの反応が起きてきて、
それだけで一日の体の中に蓄積された負担がだいぶ軽減します。


それに田町駅近くにある御田八幡神社に立ち寄ると、
かなり歩いたためもあるが意識が飛んで深い瞑想状態に陥りますが、
その後に施術上の課題が氷解したりすることもしばしば起こります。


自分の脳波をうまく場の力を利用して、
制御しているわけですね。


反対に神田明神の裏手にある末社では、
リラックスをしてはいるが意識がクリアになってとんがった末に、
イデアのブレイクスルーが起きることがあるんです。



自動的に自己調整をするモードに私自身の意識と肉体を持っていくことで、
ときには施術をしている時に大きな成果があらわれてもきます。
それは日頃、自分の経験上、場に影響されて意識が変わる体験を通して、
自分の内側を制御することも、ある程度は可能なものだという実感を持ち、
それを施術中に集中力という言葉では現せてはいない力を使えるようになります。


それがなければ、
大きく体を改善させるというのは、
大きく現状を壊していくといこと。
正解へと続く変化を生み出すのはたやすいことではありません。




それは実は施術中に起こることもあるのです。
施術後に数日間かけて起きるのが普通です。


一端は体が施術を受けて急激にかわるため、
いつも以上に痛みが患部からかその周辺から感じられたが、
数日もすればかえってそれがすっきりしてしまったという。


施術中に体の書き換えがされていきそうなきがしますが、
実際は施術が終わってからです。


お客様自身の体が、施術という外圧により大きな変化を強いられたわけで。
恒常性を無視されたほどのびっくりさです。


その変化を受け入れるか、排除するか。
判断を施術が終わってから何日間もかけて、
お客様の内側で判断を繰り返していくのです。


そのときに体の使い方が、甘い方であれば、、、
筋骨格系が血流悪化を促進する動きにでて、
ここちいい変化のはずも、そこを排除して元通りに戻るか、
元通り以上にへんてこなことになっていきます。 


でもうまく深層の筋肉を伸びやかに使おうと言うところへ
運動感覚野が書き換わりますと、その深層筋の脇にある動脈が圧迫されて問題がでていたところが収まります。


ただもちろん、深層の筋肉群が骨の近くで骨膜にがっちり付いている最近の一部日本人の体質タイプでは、
深層筋は緩められたつもりでも、早々にそこの深層筋を過剰に委縮させなければ立てないというところから逃げられずに、
また血が止まる。


そのようなところで、症状を改善させるよりも維持に終止するということもおきやすいのです。



ほんとうに、深層筋が固まると、石より硬いというのは誇張じゃないのです。。。
まず、そこを、面倒見てから、次に移るようにする。
その深層筋リリースまで手が伸ばせるかどうかについて、
私自身も、必死にいろいろな手を生み出して迫ろうとしている次第なのです。


ある程度のリリースは可能になってきてますが、
精密さや見立ての難しさから、今もまだ十分にやっていっているという実感はないので、
どうにか別の側面での工夫を詰めないかという。


そのようなアイデアに思いを寄せていくわけです。。。







そのようなさなか。


昨日、ボウエンテクニックの講習会で得た観察には、非常に多くの価値あるヒントをいただきました!!!



講師のミトさんが、講習生のひとりにセッションをなさってのこと。


講習生の方に、ボウエンテクニックを受けるときに起こりやすい、体が自己調整をしだすという反応が起きだしました。


ボウエンテクニックでは、ちょっとざっくりした説明では、
体の影響力の強い部分を把握していて、クライアントの状態を調べるときにそこが問題がありやなしやをチェックする。
その体の芯に影響が出る部分に対して、課題をみつけてその部位をアプローチをしていたときのことです。




その反応が量的に大きいものであったというのも驚きのひとつでしたが、
質的にうまく中枢神経系の自己調整が進みだして、筋骨格系が蓄積した負担部分の硬化を自動で取り始めるところへの反応が、
かなり的確であったように見えました。



その講習生の方に、
その反応がおきていたときに、どうであったのか?と教えてもらうと、
「やはり周囲の状況は目を閉じていても、とてもクリアにわかる。だから意識もある。
でも勝手に顎が複雑に動きまくる。その状態を、『あっ、動いとるな〜』と自分も見つめている」


とのこと。。。



意外に、、、私自身、日頃の神社仏閣めぐりにて気のセンサーを張り巡らせているので、
その場で起きていることを、幾つかの側面から観て感じていたのです。
詳細は述べても私の個人的な感じ方という主観が多くなるので、
あまり参考になるものではありませんが、
その彼女自身の作用だけではなく周囲にいた講師の方や講習生などの、
そのセッションを受けている方にそそがれた集中力が気として作用してしてもいたように感じました。


やはり講習生たちも、真剣に人の体を改善させていただく手助けをしていきたいという、
澄んだ気構えを信条としておられる方々です。


それも手伝って、
ちょっとしたポラリティセラピーでもちいる、
ポラリティサークルがつくれていいた感じで。
なんらかの彼女の力だけではない力もそこにヘルプされているかのように感じました。
私にはビジョンとしてくっきりそのような像が映っていた次第です。
ただ、私自身、思い込みが強い方かも知れませんで、そこは、
「はいはい、そうですか」と済ませていただいて結構ですが。 ^-^;;




客観としてその講習生の顔の皮膚の下の表情筋の整えられた様子をみれば、一目瞭然。
なにか、その方の内側では素敵なことが起きたのですね。
そこは、本当に感動的です。


そしてこのレベルで起きたことは、
私の経験上、筋骨格の神経レベルに変更書き換えをする以上の、
変化の定着が図られるようなことが多いのです。

案外、ボウエンテクニックの場合は優れた定着を示すことが多いのですよね。


もちろん、戻りがあるので、その分は差っ引いて考えないと、
これで100%変わるんだという現実逃避につながる幻想に、
足をずっぷりもっていかれるということになりかねません。


さまざまな要素があっての、定着率なんです。




この定着率が高いか低いか。
そこが実は施術を継続していく意味があるかどうか。
鍵になるところです。


いくら瞬間的に大きな変化が起きたように見えたとしても、
そのようなことは体の幾つかのポイントを要領よく調整すればできることです。
施術の初心者であった過去の私も、そこができてしまったときには有頂天になった時がありましたが、
それはほどなくして、そこに価値を置くのは幻想だったと。
そう、悟りました。


早々にまた元通りに戻るようなことがおおければ、
お客様の体が改善する曲線が、現状維持か、それ以上には進まない。
それどころか症状が強い方ならば落ちてしまう場合だってあるのです。
そうなるときなら、それをみてこちらでできることはこれまでのことですから、
他の施術院をお探しくださいということになります。
そんなことを言う方も断腸の思いですし、
いわれるほうだって、ショックです。。。。


でもそこで改善した状態をどうやって定着させるかというところで私がたどり着いたのが、
深層筋まで必死に緩めて、血の通えない部分に血液の河を、リンパの流れを取り戻そう。
ということでした。


そのように考えて以来。


愚直にそこに向けての独自のアプローチを探り続けてきているわけですが。
深く私が掘っていくという肉体的な物理面でのリリースと同時に、
お客様がご自身で身の内側からより書き換えやすくしていけばいい。


そういったところにボウエンテクニックの積み重ねられ使い、磨かれた技量が光るわけで、
そこは期待していたものの、個人でのボウエンテクニックのセッションも面白いのだが、
澄んだ気の満ちた場で、人がいて、という場合には、興味深いことが相乗するものですね。




確かに、様子をつぶさにみれば、
講師からのセッションを受けた方の特殊性はあります。
この方の特質がなければ、ここまでの反応はおきません。




ですが、その場で実際に様子を私の目がとらえて、
頭のなかに印象としてそこで起きたことを記録できた。
そこに大きな感動と気づきの力がインストールされた。
こういうのは、本でみたり、映像でみたり、話からきいても、
どうしても実感がわかない、弱い情報にしか過ぎないのです。


場を共有したという経験を通してのみ、
理解できることもあるのです。



施術のうまい講師と、この講習生の方がおられて、本当に有りがたかったです。 ^-^



おもしろい方向性をみつけられるヒントをいただいた感じがしました。^ー^