シンプルさを受け入れよう!「体幹から末端へ意識を流して操作せよ」

二胡』という中国楽器を中国人の先生に習いに行っていたが、
都合が悪くなって独習になりました。


最初の滑り出しの時だけでも教えていただけて、よかったです。
レッスンのときに聞かせていただいた二胡の演奏実演を頼りに、
どのように弾けばいいのか弾き方の基礎ばかり練習しています。


レッスンをつけてくれた先生のアドバイスで、
「曲をいきなり弾くようなことはせず、いい音を出せるようにすることが先決だ」
とおっしゃられていたことが印象的です。



二胡を手にした弾き始めの頃。


弓を動かすことを「運弓」といいます。
右手の弓を持つ手の運びに気を取られていました。
右手の手の内を意識して動かそうとしていました。


それがいけなかった。。。


どうしても、いい音が出てくれないのです。
それどころか、音がかすれてにごりだす。



しばらくして、肘で動かしたほうがいいのか?
と考えを変えてみたが、
音のかすれが多少良くなっただけでした。
音を奏でるときに、変な節がついている。
これも致命傷です。



そして肩甲骨へ意識を向けていきました。


肩甲骨のローテーターで運弓をしたとき。
あきらかに二胡の音がよくなったようです。


手先の操作 → 肘の動き → 肩甲骨の操作


と、
徐々に腕の付け根に動きだしを作りこんでいく。


体の体幹となる脊椎に近づくにしたがって、
安定感を増していった。
肩甲骨が動きを始動させてから、
肘を操作すると軽々と移動でき、
手先にも不要な力みが入らなくなったのです。


力の流れが源流からほとばしるとき、
このような変化を感じるときがあります。




最近、どうも小手先伸張力の操作を雑にしていて、
それで小手先に意識が居着いてしまい、
肩甲骨部分の操作がお座なりになっていたようです。


改めて手足を動かす際のルールとして、
体幹から末端へ意識を流して操作せよ」
という感覚を取り戻すことができたような気がします。