成果が出るまでの苦痛に勝つサポート

成果が出るまでの苦痛に負けるか、勝つか。


その差は大きいでしょう。


たとえば。
経営者未経験の者が仕事を軌道に乗せるまでには、
さまざまな対処すべき物事が続々と押し寄せます。

その波に飲まれてさらわれておぼれて我を忘れて冷静さを欠いてしまえば、
成果が出る前に負けが決まります。


成果が出るまでの過程には、
経営者としての技術の向上とセンスを磨く必要があります。
そこには量稽古として、多くの稽古をし終えたときにこそ、
技術もセンスも磨かれるもの。
その認識の末に、ようやく成果がでてくるものです。


だからその量稽古をひたすらに成すときには本番以上に試行錯誤を繰り返して、
必死に取り組まなければなりません。
稽古は失敗から修正をし、そこで技を磨くものです。


そしてそれは取り組むべき課題が、容易に対処できるレベルのものでなければ、
成果が出るまでには期間が必要で、あせりや苦痛を感じるのが普通のときです。



冷静に事実認識ができるかどうか。


それも大切ですが、
実際の話、多くのこのようなケースでは、
一人きりになって進む場合には、
9割以上が成果が出る前の苦痛に耐えられないような気がいたします。


そのようなときの乗り越え方として最も有力なものとして、
次のような環境づくりがあると思います。


「熱意を保ち続けている友を持ち、
 指導をしてもらえるコーチやメンターを持つようなとき、
 ようやく、そのような大仕事がかなう勇気がもてるようです。」


 人は、不安になったとき、または大きな仕事を動かさなければならないとき。
 誰もが自分ひとりで決める勇気を持ちにくいという傾向があります。
 そこで他者や第三者からの承認をもらえたときに、
 「やっていこうじゃないか!」と決意行動しやすくなるものなのです。


 それこそコーチングの世界。
 すぐれたコーチにお金を払って雇う
 プロスポーツ選手やトップビジネスマンなどが印象的な話をするものだ。
 本人的に十分な技術的能力や決断力があるにもかかわらず
 「成果を出せたのは自分ひとりだけの力ではなかった」
 ということで、
 「やっぱりコーチがいてくれたのは、この成功に大きなものだった」
 という感想を述べる。
 





成果が出るまでは苦痛の連続。


そういうものだという理解や腹積もりがあるものは、
乗り越えることができるものでしょう。


ただ必要なことといえば、
自覚的にどのような現状かを把握できていなければ、
行動にいたる仕掛けが適した手が打つことも工夫もできません。
自覚的な現状の把握」ができるまで客観視できるようになる。


経営をするにも多くがそこにまで至らないのだろうと思います。







そしてこのことは、
施術をお受けいただくお客様にも同様なことが当てはまるときもあると思います。


施術を受けるにも、
成果が出るまでの苦痛を感じることもあるでしょう。


むろん、容易にケアできる程度のものであるならば、
それほどの心配はいりません。


ですが課題として大きなものであればあるほど、
自覚的な現状の把握」ができるまことは稀です。
自己を客観視できるようになるにも、
複雑な多層構造的に入り組んだ問題を内在しているとすると、
技術や視野の広い施術をするものでも内容の把握ははっきり言って容易ではありません。


多くの症状や甚大な課題をお持ちのお客様のお体の状態を把握する際には、
仮説を立ててて、その仮説に基づいて施術を行い検証していくと、
また別の課題が量を増して出てくるということがほとんどでしょう。
そこを自分自身で対処しようとすると、
一喜一憂が甚だしく、
気分がいいときはいいが、
落ち込むときは投げ出したくなるほど。
そしてなにか違うな・・・ということで、
正解に至るほどの現状の把握ができないうちに辞めてしまうのが通常です。


それでは成果が出るまでの苦痛に負けてしまっております。


そうなると、残念ながら自身の状態を腑に落ちる状態にまで理解できずに、
不明瞭な認識のままとなってしまいます。
すると自身の状態を精密に把握していたらふさわしいかどうか判断して遠回りをしなくてもすむ対策や対応を工夫することができません。


このときの状態が「迷宮にさまよう」と評されるときです。


それは精神的にも焦げ付くようないたたまれなさや切なさから、
課題の解決や取り組みをあきらめるしかないという判断にいたることにもなりかねません。


そのようなときこそ、
先ほど経営者が成果が出るまでの苦痛の連続を乗り越えるために


「熱意を保ち続けている友を持ち、
 指導をしてもらえるコーチやメンターを持つようなとき、
 ようやく、そのような大仕事がかなう勇気がもてるようです。」


というのが効いてくるものだと思います。


施術者は、ときとしてお客様の熱意を保ち続けるための友として、
そしてときにはコーチとしてお客様のお話を傾聴させていただくものです。
一人きりでの頭で状況や事態を整理していくよりも、
人に話して聞かせることにより自己整理がしやすくなるでしょう。


実際には施術者もお客様のお体上の現状をお伺いすることで、
近況の特段の変化や怪我や問題などを把握することもできます。
そこの伝達をお願いすることも大切ではありますが、
それと同時にお客様自身が自己を客観視しながら他者に状況を解説するという経験は、
日頃の生活であるようでいてあまりないものです。


ただ自分の理解できているところや思考過程を、
言葉に出して相手に聞かせると同時に自分も聞いています。
自分の声を自分の耳で聞いたときに、
未整理な脳内で移ろいつづける言葉未満の印象から、
言葉という響きや実態を持ったものとして表されたときに、
初めて自分がこのように考えているんだと把握できるもの。


それは確か「オートクライン」と呼ばれるものだったと思います。


自分の出した言葉を自分が耳にして理解ができるという状態です。



お客様は自覚的な自身の現状を施術者に丁寧に伝えることで、
自己を客観的に把握できるような経験をつみ、
工夫して対処対応が可能なステップへと進むことがやりやすくなります。


それは身体を改善させていくという目標達成のためには重要なことであり、
そこで施術者はあまり骨惜しみをしてはならないと思っています。



そしてお客様が、
まったく現状は足踏みです、
とか
まったく成果が出ていない、
という印象があったとしても話を冷静に現状を時系列的に並べていけば、
現状把握に公正さを欠いているときもあります。


そのようなときに、
施術者が手厳しく上から目線で論じれば、
たいていは角が立ちます。


ですがお客さま自身に、
現状のみではなく過去からの流れを俯瞰して語ってもらえれば、
今が自分がゴールへ向かっているかどうか、
そしてどこまで進んでいるのかという把握を自らがしてもらえるわけです。


ただなかなかそういったことを述べる気持ちにさえなれないときもあります。
それにこちらがそこのお話をお伺いするにも時間的に厳しいときには、
私のほうから「うん、うん、たしかにそうですね」と
お客様がおっしゃられる公正な客観から見た私の感想を述べて積み上げます。



まったくの成果がない状態で、
長い間、同じ治療院等に通い続ける人はいません。


なので、
「それでは、もし、この施術院に縁がなくて、当時の状態を引きずっていたら、
 おそらく当時の状態は、さらに深刻な問題へと悪化していたと考えられます。


 そこをゼロ地点として考えて、
 現状がどこまで進んだのかを評価するようにしてみてはいかがですか?」


というと、
「そういえば、、、そんなもっとも避けたい事態も起き得たんだと思い出しました。
 かなり、ぞっとしますね・・・」
そのような感想を述べられた方は、おられます。
一人、二人ではありません。。。



そしてこの時点で、
お客様自身がしっかりスタートからゴールに向かって自分がどれだけ進んできたのかを把握しだし、
確かに前進しているからいずれは思い描いたゴールにつくときがくる可能性も高い。
だったらやっていこうじゃないかと考えて、
今日のこのときを新たなゴールへのスタートとし、
また走り出す。





さまざまな理由から気分が落ち込んでいるときに、
成果が出ていても出ていないと思えてしまっているときがあって。
それはお客様の主観的視野からはそういうしかないという気分なのですが、
それがかえって気分のどん底がどつぼにはまるようなら
<<現状把握をしてゴールを見据えてそこへたどり着く最適ツールはなにか?>>
といった成功に必要な心得を手放しています。
そうなると無理無駄むらが多くなり、
かえって動いて失敗した状態になることもでてきます。


そこをそのままにしておくと、多くの場合は成果が出るまでの苦痛が長引きます。


そこから、どのように抜け出すお手伝いができるものか。



それは同時に、成果が出るまでの苦痛に、どのように耐えるようお客様の身になって考えられるか。
その課題は、シビアです。
そして言葉という道具の鋭利さと怖さを感じざるを得ません。




「成果が即効出せないのはダメじゃないか。そんなものは耐えさせちゃいかんのだ!」
という夢物語を語るのは臨床家の本分ではありません。


そこは、簡単な対処で済ませられるお客様に対してだけ述べられる言葉であり、
お客様ごとに使い分けが必要になってくるからです。


私がお客様に対し施術上でできることは、
「他院では、少しずつはよくなっていったが、
ボディワイズでは、確かにそれらよりも大きな前進が感じられた」
というようなところへ惜しみない努力をなしていくこと。


そして成果が出てゴールに着いたと思っていただける日まで、
根気強く、言葉がけをすることでしょう。