ムビラ奏者の演奏の感動と「手の内」にすばらしいと感動!

施術のことでは直接ありません。
間接的に関係があるかも知れません。


昨日は鎌倉にて、

https://youtu.be/AaY1LV12I1c
【ムビラ】シンボッティ・ジャパンツアー2019【ライブ】

を聴きにいきました。

私の信頼するフェルデンクライス・メソッドの先生より、
「いま、シンボッティというムビラ奏者のライブを聴いて感動し、興奮のなかでメールしてます!」
というメールをいただきました。
感性豊かな先生です。

フェルデンクライス・メソッドとは。
身体の動かし方を無理なく合理的に、かつ洗練されたものへと導くメソッドです。
私は、こちらの先生のところへフェルデンクライス・メソッドのATMというセッションを受けに、
亀有のほうへ足を運ばせていただいたことがあります。

その先生が、
「僕の直感だが、鈴木さんの施術再会の際に、すばらしいアイデアがでてくると感じました。
鎌倉でもライブやるのでどうですか?」とメールで知らせていただきました。

私は、「 ジンバブエから来たシンボッティさんて、誰?」「 ムビラって、なに? 」
という疑問が普段だったら雪崩のように思い浮かぶでしょう。
ですがまったくそのようなこともなく、即、「いきます!」。

 

音楽につきましては、CDを2枚ほど会場で買って帰りましたので、
施術が始まりましたら、お聞きいただくこともあるかと思います。

激しい音のなる力強さが際立つにもかかわらず、
感情的にというよりも、感覚的にというよりも、
しずかな瞑想のうちに音を一音ずつ大切に響かせて連ねています。

ただ癖で、シンボッティさんの演奏しているときの姿勢を、
つぶさに観察してました。

腕の位置と操作は、
胸の前の開きを大切にした位置のキープによっているのかと感じました。
そういえば、二胡奏者ウェイウェイ・ウーさんのライブをみたときにも、
激しく感情が高鳴るようなシーンであったにもかかわらず、
腹のなかが肥沃で安定した大地として力を生み出し続ける。
私はものすごい演奏を聴いたという感動もありましたが、
二胡奏者ウェイウェイ・ウーの身体操作術の並ではなさに、
びっくりでした。
おじい様から中国武術の手ほどきがあったのでしょうか。
それは推測にすぎませんが、、、そう、あってほしいと。。。


演奏中は心拍数が上がるかもしれませんが、
脳波の波形はクールという表現は適切ではありませんが、
鎮まりかえって粗野や粗雑さが掻き消えて繊細になります。

そのような不可思議な安定感が抜群でミスのない熟練さを、
シンボッティさんからも感じました。


シンボッティさんの演奏なさる曲の背景も深い祈りを感じますが、
同時にこのような方の演奏を耳に聞くに及んで、
聴いたものの身体が共鳴することもおこります。


だったらシンボッティさんのCDをBGMにしての、施術で。
なにか、すばらしいアドバンテージがあればと、期待します。
施術をお受けいただくお客様に幸多かれという願いに通じていますから。
 ^-^

 


思い切って帰り際、
シンボッティさんの両手を見せていただけるようお願いしました。

・・・みごとな、まじりっけない日本語で「手を見せてくださいませんか」・・・ ^-^;

日本語のわからないシンボッティさんでしたが、
怪訝がらないで、笑顔で手を見せてくれました。

 

生命線もしっかり。^-^
すなおないい手のひらをなさっておられました。

それだけではなく「手の内」がしっかり作られていました。

私は感情表現が外に出にくいタイプで、
こころの内側の声を聴いてもらえれば「おぉー、すばらしいじゃないですか!」と狂喜乱舞。
でも、それが外見上でていないので、
変わったやつだという浅い印象を与えるにとどまりました。
特に、相手が英語しかわからないとなると、余計に無口で引きつった笑顔になりますもので。

 

CDを買わせていただいてシンボッティさんにサインをお願いして、
握手をしていただいたとき。
まさに、そのシンボッティさんの握手は、
どこぞの政治家の握手ではなく、
手を添えるだけに近い握手です。

<握る>という操作ですが、
意外なほど、これが曲者でして。。。
それを意図的か無意識かはわかりませんが、
達者な身体操作をなさる人の中には、
軽く相手やものに触れて、
手先のセンサーの機能をだめにせずに中身を察知するという人がいます。
合気道の熟練した方は、赤ちゃんのようなソフトで感知性に富んだ手で、
相手を感じてリアルタイムに情報を収穫して、即応することができます。

非常に、生命観あふれたいい、手です。

 

 

ただ、ひとつだけ疑問があったのです。

「大変な男嫌いで、女性にだけは、
 しっかりと握りこんだ握手をするのか?」

ときどき、これはあることなので。^-^;


そんなこともないだろうと感じ、
だったら、握らない手の操作をなさられる、
手の内が作られている人なのではないかと。


すると、やっぱり男嫌いで握手の手を抜いたわけではないとわかりました。 ^-^


シンボッティさんが、ジンバブエで特別な身体操作をでき天才だったのか。
それとも他国に生まれ育った人は、ある程度、手の内の操作ができるのか。

おそらく私は後者が正解だと思いますが、
そのなかでも練習をつんで磨きをかけると傑出するのだろうと感じました。

 

 

 

日本人の私には、合気柔術の先生から手の内の作り方を、
初歩から順序だててお伺いできなければ、
一生、この手の内という興味深い身体操作のポイントは知らないまま、生きていったかもしれません。
そうだっただろうと思います。
それでは精密な繊細さと力強さを合わせた身体操作ができません。

ちょうどコツをつかむ、とかいった骨を活かして操作するときに、
「骨」と「腱の張り」を操作する感覚がないと手の筋肉に筋収縮がおこってしまいます。
それではいくら懸命に目測して動きや働きの計算をしてみたとしても、
手先で手掌の「握り」の動作が入った瞬間に
「腹の胆」と手先の末端がばらばらに分離してしまうものです。


私ごとで申し訳ありませんが、
このような状態では施術をしても、手先の感じ取りセンサーも鈍るし、
らせん状のスプリングの伸張をもって筋肉操作をかなえる感じもできなくなります。

 


外形上の形について、
鏡に映した型はきれにまとめるよう修正をすることはできます。

ただ丹田の内側でつくりだす操作は芳しいことにはなりません!
似て非なるものです。
でも仕組みがわからない限り、
何が非なるものかがわかりません。

ひとつ、重要な気づきをえると、
先に進んだ関連する疑問が思いつきます。

そこが飽きずに楽しくしていられるところで、
自分で自分の内側を愛し認めて富ませることにつながるのでしょう。

 

ただボディワークに関心を持って人の身体操作の良し悪しをみて生活をしていると、
この人、すごいぞ!と感じられる人にお会いすることができたとき。
ありそうでいて、めったにないことですが、
とても、うれしく感動します。

 

 


帰りは一緒の方向でバスや電車に乗ったフェルデンクライス・メソッドの先生に、
すばらしい演奏に誘ってくれた御礼をいいました。