【 筋肉 】の<起始><停止>の腱部に触れると、自動的に筋肉が緩みだすんです。それをさらにスモールサイズのベン石温熱器で触れると。。。


はじめに。

筋膜の癒着をリリースするって、
私たちはどの山に登ろうとしているわけなの?


私の考えですが。。。
筋膜をリリースするのは山登りをするための、
登りやすいいい靴やリュックサックを手に入れたようなものです。
それぞれの筋肉や軟部組織がもつすばらしい機能性を発揮する下準備に過ぎません。


だから、、、。
ひとつ目の理由。

 

体内の、筋膜という膜組織が自然な状態にもどされて、
自由でたくましいパフォーマンスが発揮できるようにするため。

【 筋膜がよれて委縮して筋肉が縮んだままになっている 】とか

【 隣り合う筋肉・靭帯・腱などの軟部組織と癒着している 】とか

【 隣り合う筋肉等の軟部組織と骨(骨膜部)が癒着している 】など。

【 隣り合う筋肉等の軟部組織と内臓(内臓の膜部)が癒着している 】など。

筋肉その他の軟部組織にはさまざまな癒着のパターンがあります。
(ここでそれを説明すると長々と脱線しすぎになるので、割愛させていただきます。それはいずれ、また! m__m)


隣り合った筋膜と筋膜、筋膜と靭帯や腱、筋膜と骨膜、筋膜と内臓・・・etcなど。
元は互いに『適度な距離(※膜組織間の潤滑油の潤いがある状態のこと)』を置き、
個別に最良の機能を発揮できたら肉体は絶妙かつ適切な調和ができていたはずです。

そうなるための手順として、
それぞれの筋・腱・靭帯等の軟部組織がもってしまった、
『癒着』という<もたれあい関係>を清算すること。

癒着は、衝突事故や落下事故等の外部からの強圧等で作られる場合もあります。
そのような急性組成された癒着は<もたれあい関係>とは呼べないものです。
そして他にも不可抗力的な癒着としては出生時の特徴的な生まれ方や遺伝による場合もあります。


それら以外の多くの筋膜等の膜系の癒着は、
各人が自身の身体をフル活用させる術(すべ)を熟知していないがゆえに、
身体内部の筋膜等にわざと癒着化を促進させています。

癒着させた組織を活かして動くことを覚えた結果、
急場の動作をすることができるようになりました。
そこで、ほっとしてしまったのです。

そのような癒着化による安心や安定を覚えてしまうと、
いつしかそこから抜け出す気にもならなくなって、
徐々にアリジゴクの深みにはまっていくのです。


ときとして。
自分で作った癒着が、
急に炎症が強く感じるような引きつりが感じられることもでてきます。
つまりトリガーポイントのような筋膜が癒着した場所があると、
決まった特定の個所に痛みが出てくるような不具合が起こるときもあります。


そのような痛いつらさを避けるためにも、
各筋膜等の膜組織の各々の「独立性」を保つこと。
そのような考えもありますよね。

 

そして、もうひとつ、派生した考えとしては。。。

悪い意味でのもちつもたれつという癒着をはなれた一人前に独立できた筋肉だけが、
多数の筋肉などの軟部組織の協調協力関係を、スムースにかなえてくれる素地となるからです。
動きに対しての主要筋が癒着がすすんでいたら、神の設計通りの動きをかなえようと努力しても、なかなかうまくいきません。

 

座った椅子から立ち上がる動作をするのも、数百もの筋肉が各自の持ち場の仕事をしています。
複数の筋腱は、力を入れる部分と抜く部分を使い分けてバランスを感じながら動きます。
そのときに脳から大量の命令が運動系の神経へと送られます。
その情報をキャッチした筋腱などがスムースに動こうとするのですが、、、。
いったんはスムースな動作を試みようとしたかもしれませんが、
それが癒着化により、筋肉のばねの歯車が精密な回転を拒まれて。
身体が本能的に知っていた理想の動きは捨てられ、とにかく動かなければというものが優先となります。
とにかく、、、動きたかったから、癒着していても動けることの工夫をしてしまう。

多くが癒着が消えるような動き方を得るきっかけとは、
距離のある方法を選択して新たな動きを作り出していく。
新たな独自の姿勢を作り出していく。

 

そのような傾向があります。

 

それぞれの筋肉が、独自のパフォーマンスをしやすいように独立させてあげること。
そうすることで、よりスムースに動けます。
身体に負担がかからない操作もできます。


まずはそのような筋肉等のパフォーマンスがスムースに発揮できるような、
自然体に肉体条件を戻してから、
脳に後天的に覚え込ませた癒着化を思考を打ち砕くための、
動きの再学習をしていくことができたとしたら。。。


癒着化を手放して、それ以上の動きのパフォーマンスを発揮できるやり方が、
意外なほど楽に身につくようです。
つまり肉体の円滑な活用スピードが上がるだけでなく、身に定着しやすいのです。

オトナになってからだと、体の使い方を根っこを掘り下げて書き換える難しさは尋常ではありません。。。

一般的なオトナのほとんどは(現状の私も含めてですが)、
筋肉が他の組織との癒着中では、本来の与えられた作用ができなくなります。


その筋肉が個別に力を発揮できなくなれば、他の筋肉や腱・靭帯等に負担を飛ばして動けるように補完します。
すると負担を肩代わりした筋肉等の軟部組織にかかる負担は蓄積しやすい特徴を持ちます。
それがもとでさらに複雑な癒着化への火種となります。

 

ときとしてそれも「老化」と呼ばれます。
はたしてそれは避けられない生理現象なのでしょうか?

 


頭の重さを支えるには。
頚椎の椎骨を地芯を天に貫くよう積み上げて、
首後ろの項靭帯のロープの吊りの力と
後頭下筋の第一頸椎を使いこなすバランシングセンスと。
それが理想と、昨日のブログの後半で申し上げました。

それがすでに大胸筋や鎖骨下筋がコリコリになって、
肋骨やその他各部と癒着が進んでいたとしたら。
大胸筋や鎖骨下筋は、それらが凝れば姿勢を悪くさせる筋肉と知られていますが、
実際は頭を前に突き出したままにしてしまうと、
頭の重さを乗せる力学的な頚椎の積み上げのような台がなくなり、
大胸筋という胸の前の強大な筋力を持つ筋肉を、
頭を仮想で支える台の替わりに使った補完をしたものです。

オトナになってからでは、
このような理詰めの理由を聞かされて、
なんとなく納得できたとしても、
すでに大胸筋が硬く周囲への癒着化が進んでいたら。

理想形のバレエダンサーのような頭のポジションに頭部を持っていこうとしても、
息苦しくて、体のバランスもとりづらくて、目が回る気分です。
そんなことをしたら体に悪いと、体の内側の声が叫ぶことになります。
すると、たいていは頭の位置が悪ければ不都合を背負っていると知りつつも、
そのままのやり方での生活が続いていきます。

 

大胸筋や鎖骨下筋のコリ、
それに他にも首を立てるにはその人に必要な癒着化した部位のリリースを進める必要があるのですが。
それらの癒着が緩んで、理想の頭の位置に頭部を移動させても、大丈夫。
息苦しくない、頸動脈も圧迫されない、目も回らない、、、
それどころか、頭が天井のほうへ吊り上げられているかのような「スカイフック」感覚がいい。
気が付けば、いつも肩が上に上がってるとヨガの先生にいわれていたのが、
楽にちょうどいい位置に肩がおろせて肩甲骨が肋骨からわずかに浮いた感じになっている。。。

のようなことを、
筋膜の癒着化した部分を除いていくことが進むことで、
体感的に体験できるように変わっていきます。

すると今まで以上に心地よい状態を見つけたときには、
身体の奥からの声も、さすがに声を潜めるのが普通です。
オトナでも新たな快適な身体操作の再学習が進んでいき、
多くの人は、その後の身体の軽さや快適さに驚くでしょう。


私も、おおいにその自由闊達さや快適性に驚いた一人です。
以前の自分の状態に、いま、戻れといわれたら?
全財産を渡しても、避けたいほどです。

 

身体の状態の認知認識や、動作の在り方は、
いくつになっても磨きをかけることで伸びしろが見つかります。

むろん、肉体上の老化現象といえるところは消えないものもありますが、
身体の豊かな教育が進むことで、進化しつづけ磨かれるものがでてきます。


そのようなカラダの再教育をするときの下準備として、
筋膜が癒着していたら、リセット・ボタンをポンッとスイッチオンするというのも手です。

 

 


そして、筋膜の癒着が進むと見た目がどうなるのか?

顔のパーツの配置から。
そして立位で前、横、斜めと写真撮影をした情報からでも、
多くのことが見て取れます。


癒着が進むほどに、
身体のパーツの配置や動作はアシンメトリーになっていくのです。
左右非対称になっていくということですね。

 

 

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【 健康キープのための気づき 】

人は自身の身体がアシンメトリーにおちいっていることに、気づきにくい。
そして人はアシンメトリーな身体じゃ、病になりやすい。
シンメトリーな身体のほうが、免疫力が強く、病にかかりづらい。

だったらシンメトリーな身体を、めざそう!

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なぜ、自分のアシンメトリーにおちいっていることに、気づきづらいのでしょう?

調べてみましたが科学的なことはわかりませんでした。
なので私の想像で恐縮です。


人は他人を観察して識別する必要があります。
人は一人では生きられない。
多くの人と関わり、生き抜く社会性の基本でしょう。

自分の親の顔や恋人や子供の顔、それに仕事上の関係者を識別できないと困りますよね。
興味関心の深い関係にある初見の人に対して、人は本能的に鋭利な視点で人物の情報をキャッチしようとします。

しかし自分を他人を見分けるほど客観視しても、さほど、どうということもないのかもしれません。
さすがに自分は、二物に分けて離すことのできない自分です。 
他人を判別するほどの客観視をしなくてもかまわないでしょう。

それと同時に、自身を観るときには、
他者を観る以上にフィルタリングしているようです。

ときには自己を否定したくなるような状態を発見しても「これでいい」と思ってみたり。
ときには自己を肯定していいようなときでも「これじゃだめだ」と感じてみたり。

自己を他人であるかのように客観視できるならば、
適切な判断を脳が勝手にしてくれるものも、
「主観というフィルター」がかかると、合理的判断が遠のいてしまう。
脳が改善への橋渡しをする機会を失ってしまうのです。
現状維持を安全策という内側の声にしたがってしまえば、脳を怠けさせ、


どのようにして主観という幻想化が得意なフィルターを外して、
具体的に体の状態を客観視できるか?


やり方は、多数ありますが、
「【 筋肉 】の<起始><停止>のとらえ方・使い方」というやり方でお伝えしようと思います。。。

 

が。

 

私事で恐縮ですが、気づいたら、長時間、パソコンに向かって書いていました。


簡単にやり方を言えば、
【 筋肉 】の<起始>と<停止>に手を添えます。

たとえば、「胸鎖乳突筋」を例にとります。

 

胸鎖乳突筋の起始と停止.jpg

 

 

筋肉が骨に付着する部分は「腱」となります。

その腱部に、極力正確な位置を確かめながら触ります。
左手で胸骨柄・鎖骨上部。
右手で乳様突起部です。


すると、現状の左側胸鎖乳突筋の長さが何センチくらいあるかが両手の距離で実感できるでしょう。

頭を右に水平回転させると左側胸鎖乳突筋は短縮します。左右の手が近づいていきます。

頭を右に回転させ同時に左側へ頭を倒します。すると最も左側胸鎖乳突筋が短縮する位置が見つかります。

今度は、
頭を左に水平回転させると左側胸鎖乳突筋はかなり伸長します。左右の手が遠のいていきます。

頭を左に回転させ同時に頭を右側方に倒します。すると最も左側胸鎖乳突筋が長くなる位置が見つかります。

 

これで脳が、胸鎖乳突筋は頭を回転させることに関係ある筋だなと気づくでしょう。

そして同様のことを、
今度は右側の胸鎖乳突筋で行ってみます。

 


手の置く位置を注点としてマークを付していくことで、
多くの方が自身の胸鎖乳突筋がアシンメトリーな状態であることに気づくでしょう。
今までもアシンメトリーな状態にあいまいな量や質で気づきはあったかもしれない。
だが脳は、そのあいまいさがあれば正確な改善するための式が描けずに、
計算ができないのです。

個々に、具体的に客観的情報をキャッチできなければ、
脳からの改善レスポンスはないと思ってください。

あいまいとかファジーとかは、ほとんど受け入れられないのです。
主観というフィルターが、邪魔なんですね。
正確で最適な改善情報なしにおこなう修正なんで、現実問題として崖から落ちるのがおちです。
その危険を含んでいることを、本能的に知っているから変化への制限・抑制が加えられるのです。

そういう場合には、保守的な声が聞こえてきます。
「今までの通りでいいじゃないか」と。

私たちのカラダは、そのようになっています。

 

ですが脳は、進化を好む側面も持ち合わせています。
カラダを客観視したうえでの正確な理解が進み、必要な改善情報を与えられれば、
適切な修正作業を喜んでやってくれます。
それは無意識下での複雑な計算をも可能とします。


脳に客観視力が開眼できたときは、頼もしいインテリジェンスなコーディネーターとして活躍してくれるのです。

 

今回は胸鎖乳突筋を使って説明しましたが、
カラダには左右対称に配置された筋肉が多くあります。

大胸筋も、大腿直筋も、腰方形筋も、、、、。

それが「アシンメトリーな状態におちいっている」という気付きを得られるようにすればいいのです。

ただし、一気に複数の筋肉にその気づきを与えると、脳がパニックを起こしますから。
多くて3本ほどの筋肉にとどめるのがよいかと思われます。

最適は、一日に1本の筋肉のアシンメトリーな発見を心がけるのもいいでしょう。

 

注意点ですが、
人により、自分で自分の筋肉の起始と停止に同時に触れるときですが、素手で触るとうまくいかない時があります。
自分の手で触ると、それもまた主観のフィルターが入るのでしょうか。
やっかいです。。。

その時は両手を滑り止めのついた軍手手袋をはめてみるといいでしょう。
または両手にかっさ等のマッサージツール等での極力フィットをさせるように工夫をした接触をしていただけるといいようです。

 

 

 

最後に、これは重要なお知らせですが。

私は施術中に、何気なくお客様のカラダをチェックして触れるようにしていると思われているかもしれませんが、
筋肉の起始と停止に同時に手を添えるだけで、その筋の無駄な緊張は速やかに軽減してくれます。
そのような生理的な反応と呼べるような反射が起きるのです。


いま、自身に実験しているのは、スモールサイズのベン石温熱器を使って、
筋肉の起始と停止に同時に温熱対応をします。
するとミラクルなほどに自動的に対象の筋肉の筋紡錘の状態が馬鹿になって筋緊張がしっぱなしだったものの改善がなされます。

筋膜は硬化すると冷めてしまうため熱を欲する状態となり、
温和でやさしさの伝わるほどの温度を腱部に加えられると、
無駄なくリリースの反応が起こりそうです。

筋紡錘が脳からの筋肉を弛緩させる命令を受け取ってやわらいでから、
ずり圧でリリースをかけてさらに内奥を解くほうが、
掘り進めるのが容易かつ効率的になります。
そしてリリース時の発痛も抑えられます。


スモールサイズのベン石温熱器では熱量が足らないため、脚部や腰部、体幹部の太い筋肉には対応できないため、
より大きなベン石温熱器を使って筋肉の起始と停止に同時に温熱対応を施すと、
ずり圧等をかけなくても筋腹部分まで緩むような反応が起こります。


ベン石温熱器を使ってのこのリリース法は、
まだリスクの不測を排除しきれないためお客様に利用してはいないのですが。
手では以前から行っていることなので、早々に利用できるようになればと考えています。