「寝る間を惜しんでオリジナルの施術を、研究し、実践してきてよかった!」そう、実感しました

先日の施術のこと。

たいへんにありがたいことに遠方から長年にわたりご夫婦でお越しいただいているお客様がおられます。


奥様のお身体について詳細なことは、守秘義務上、お伝え出来ないことをご了承ください。

 


奥様が施術をお受けいただき、ご主人は隣室で施術が終わるのを待っていています。
ご主人が奥様への愛情深い。
それで奥様のケアをしておられます。

私もそれをお伺いしていますから、
奥様の現状に即した「今、ここ!」アプローチをしたら効果大という部分があれば、
隣のご主人に来てもらってその対処をお願いさせていただきます。
日頃の奥様のカラダメンテのリリースケアに習熟しておられるため、
一般の方ではとまどうだろうことをお伝えしても呑み込みが早いので助かっています。

 

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『筋膜のレコード』
筋膜がいったん、必要に応じて委縮したり短縮したり、捻じれるなど異常をえたとき。
その状態が、特に感情とミックスしてた場合は、とことんしつこく残ります。
ときとしてそのときの後々の一生涯まで異常な筋肉状態を継続し、
それが全身の筋骨格上の主要関節をずらして骨格の全体にかかわる位置のずれにつながります。

そしてその状態が
股関節(膝関節・足首関節)、恥骨結合、
肩関節(肘関節・手首関節)、胸鎖関節、
仙腸関節、後頭骨、椎間関節等に関する縫合部などに深刻な状態を与えれば、
【気血津液の流れが停滞による体質上の悪影響が】現れてきます。

もちろんそこには、
胸郭変位による肺や心臓の稼働異常
マッスルポンプのパワー不足による影響
リンパ節の詰まり(特に鎖骨角リンパ節)

または左右の手で脈を診るとわかる気血津液の状態理解を筆頭とする、
カラダの全身の動脈でチェックできるその人の左右の内側を流れる液の状態を観ること。
そこからは上述した部分の状態の良し悪しが如実に表現されて読み取れることになります。

以前は足首に至る脳脊髄液の流れで、それを観ていたのですが、
動脈の脈で診た首、足首、鼠径部、手首、腋下動脈などで観たら貴重極まりない情報量が抜群に増えたのです。

全身の脈を診ることでカラダの内部の液の流れや分配などがどうであるか。
そこにこそ、皮膚の表面から見てもいささかも読み取れない情報があるはず。
または高価な検査機器がなくても、私の脈の読み取り精度を高めるよう日々訓練した指先の出番があるだろう。

体質上の問題を抱えた人に多くある『左右の腕の脈に左側が弱まる』という異常に気付いて。
そして左側が弱い人は、意外に大病につながるケースがあるようなので、その理由を手だけではなく、
全身の他の部位にある左右の脈でチェックすることで情報が得られるのではないかと着眼したのです。

そうだと感じながら脈診をさせていただきました。
手首の脈を診るときには、ついつい脈診講座のときの癖で、意識を集中している姿勢で脈を診ますが、
他の足首や頚部、鼠径部、脇下の動脈、その他の左右の脈を診るときは、
主に脈圧と浮沈など他数点に着目してチェックしています。
それは触れた瞬間か長くて3~5秒もあればわかります。
なのでお客様自身は、脈を診られているという感じは皆無でしょう。

でも意図的にそうやって全身の内側の重要な液の流れの阻害された状態がないかをチェックしており、
そのときに阻害が見つかれば液の停滞をさせる個所を見つけ出していきます。

ただし手痛い!といえるような停滞感ある場所が簡単に見つかるものではありません。

それはたいていお客様が訴えかける痛みが出る不快な場所にはそれはないんですよね。
まったくそこには火元がない、といってもいい。
運悪くその火元ではない部分に、不要なアプローチをしてしまったときには、
悪化させる火に油を注ぐようなことになる。
改善はステップを踏んだ積み将棋のようなもので起こります。
ただ悪化は誤った手を打てば一瞬のうちに深刻化していきます。
自己研鑽が進んでいない方がおこなう判断ではときどき起こる怖いことです。
よい施術をする者は、つねにこの悪化させる手だけは打たないことを優先に考えつくしています。

 


だからお客様が必死にここが痛いから解いてほしいといわれる『主訴』ですが、
お客様がわからない筋連関、経絡の流れ、神経の状態、周囲組織の様子、その他、20ほどの情報を見ています。

施術をする私が理解できれば、積み将棋をして王手することができますから、
そのときどきのステップを解説することはしません。
多くは自身のネガティブな部分を克明に伝えられれば気分が悪くなりますし、
そこを知らなかったとしても、知らぬ間に不都合を私が取り除いているので。


お客様からその場の説明を求められたり、
お客様にとりあえずその後の改善が持続的にしていってもらえるような念押しをアンカーとして置く場合、
もっとも一般の方もわかりやすい筋連関の概要にかこつけて説明をさせていただきます。
すべてのもろもろを説明するには既得知識が同じ量かそれ以上でなければ、
体内に内在する公式が複雑に複数散在するものです。
そのような解説を受けとるためにお客様は来ているわけではありませんので、
そこはかなりしぼります。

私たちの施術は科学的ではない見えない部分も多数ありますが、
だからといって科学的な見方を放棄して分析をあきらめていいわけではありません。


そしてそのなかでも私にとって大きな変革をあたえていただいたのが、全身の脈状を診るということでした。
私のブログを読んで左右の手の脈を診て状態の違いを感じているという内容が書かれたところがあると思います。
左右の脈の異常は以前からも気にはなっていたのです。

私の脈診についての理解は、
去年の夏ごろでしょうか。
自分で少しずつブログに書きだし解説しだしたときがあり、
そのときに脈診の本をより深く読み込んだという経過があります。

そこで得た脈診の力が少しずつ定着して思考しやすくなりました。

その情報に基づいて見ていく。
そして私の施術で使えるように落とし込んでいったわけです。
多くの体内のチェック法を勉強してきたなかでも、
私の施術との相性が抜群によくて歯車がかみ合ったのですね。


ただしベン石温熱器を使えてなかったら、
体内の液を視れていたとしても、
そこへの改善を加える有効打は打てていなかったでしょう。

特に私が柄の長いベン石温熱器を手にし、
それを用いての施術をはじめたときから飛躍しました。


柄の長いベン石温熱器をもちいたとき、
同業者が私のベン石のヘッド部分を動かすアクションを視れば、
その意味はわかるかもしれません。
今までの私がしていた筋膜リリース法とは別のレベルでの作業を意図して成しています。

通常であれば一手打つ手を出すときに、
2~3~5手の手をだす作業を一手でしているのです。

ベン石を加温しての施術ではそれが他の手に比較して大幅に起こりづらいという特性があります。
これは私自身、多数のホットストーンやマッサージ用のグッズをもちいてわかったことです。

ただし一手でのベン石温熱器をもって擦るような作業を直線的か曲線的に成すときには、
お客様は直感的にその刺激に対して加えられた圧に抵抗しようとする皮膚抵抗が高まり、
後々にまでリリース作業の成果は残らずに元へと戻る恒常性に飲み込まれていきます。
ベン石温熱器を用いた場合で一手で処理しようとすると、他の石やグッズと比べれば非常に成績がいいものの、、、
ベン石でもかなりの戻りがあります。


それが2~3~5手の手順を一手に含めてだす作業を一手でする場合。
その一手を施す手の内に2手~3手~5手をいれる手数は、
お客様の体内の状況は千差万別で、それに応じます。
そしてそれは脈がわかるだけで当てられる手ではなく、
いままでの私の手を磨いた複数の技術が封入されています。

だから解けるのか、というと、そこをベースにして、
もうひとつ、大きな成果をだす構成要素として指摘すべきところがあります。

お客様自身の反応として全身を固めて抵抗をするという手も打てるのではないかと思っていましたが、
ベン石を加温しての施術ではそれが他の手に比較して大幅に起こりづらいという特性から、
そこは抑えられている。
そしてそれ以上に体内の問題になる個所を浄化させる一瞬のうちに生じていく変化が大きい。
それは私がお客様の体内の流れを把握して正常化させるための道筋を読み込んで描くからもあります。

お客様の無意識下では逐次、大味な一手に対しては、皮膚抵抗による刺激を跳ね返す抵抗を打てるのです。
それがエフェクティブに方向や圧や角度やとらえられる個所が一手のうちに順々に変えられる場合には、
効率よく皮膚抵抗という外部からの侵入を遮断して身を守ろうとする門番機能が即応できないようになる。
そのようになるという仮説をもって検証してきました。
意図的にそういった状況をそこに作り出しているのですが、
その部分が大きく加味されていると感じられます。


ただこの一手を施す数秒の手順内に複数の手を打つということが、やってみると、いかに難しいことか。。。
お客様自身のカラダの変化が大きいということは、
勝手にそれがおこっていく自律神経系のリセットを自身でなしていただく場合は、
施術者の私には楽なのです。

ですが適切で深層部筋までを含んだ筋膜リリースを用いてのときは場合が違います。
お客様自身のカラダの変化が大きいということは、一瞬にして、その内側の液の流れが変えられます。
積み将棋で積んでいく手を、相手の指向や状況、思念を読みながらでなければ、打ち出せません。
そのような脳内作業ストレスが、今までの何十倍もかかってショートする感じです。
体技としての難易度も上がり心が折れるほどの異様な集中力を必要とするのです。
お客様との話をしながらの施術もできず、
私の目線はどこか別の方向を見ているときがありますが、
そのときは高速に3次元的なお客様の状態の図を脳内に描いて覗いています。
全身と部分に関連して順次、虫の目と鳥の目で交互に体内をみていくのですが、
そのときの筋腱靭帯の硬度や張りや乾き具合や冷え具合、骨のずれ、などを皮膚の表面から内部の骨や臓器の位置に至るまで。
そのうえで一手を施すときに入れる手数が決まってきます。

それは今まで以上に精度が高く全身の脈で液の状態で情報を得られるためしやすくなってきたのですが、
今まで以上に、『人の身体は誰とて同じではなく、千差万別である』という気づきをあたえるものはなかったです。

人体のものの見え方が、
アライメント異常を柱や梁や壁や床を治すということをメインに考えてきて建物を管理する役割と感じていたものが、
人体を液状と見えだしたときに、別のレベルで人体のしくみが見えて、感じられてきたようです。
野口体操の野口三千三先生の本に、人体を液の視点で見渡している様子がうかがえていましたが、
いま、ようやくその意味が少しだけでありますが見えた手ごたえを感じています。


ただこのような多大な見立ての再構築や施術法のすべては私の内側にあるものをアウトプットするもので、
そのヒントはあるものの直接的な指導署などは見当たりません。

それが今の施術をする私自身の身を、拘束して固めていきます。

 

たぶんに大幅に深層の邪気がある部位に触れているので、
それに私が深く当てられて体調を崩すという場面もあります。
そこは施術後に近くの小山八幡様での気の浄化で和らげるのですが、
それでもリセットができないほど。
それはつらくもあり、ただし何かが生み出されている証拠でもある。

なのでそれぶんも含めて、お客様の内部的な邪気の浄化が起きている感覚があります。

 

その結果が、ここ2カ月ほどのお客様のカラダの変化は一様に施術成果がいい。


そして冒頭でお話をさせていただきましたお客様からも、
前回からか、明らかにうちの奥さんの状態が良くなったよ!」とおっしゃっていただけました。

 

かなり自分の首を絞め心臓をバクバク言わせ息を切らせつつ必死にペダルをこいでいる状況。

その言葉は、奥様の中で起きた状態変化の結果報告ですが、
同時に私にとって声援をしていただけたようにも受け取っていました。


ふだん、それほどほめられることもないので、本当にうれしいものです。 

 

そんなとき施術をたゆまずにまじめに独自の研究してきてよかったと思います。
私の施術のやり方は、効率が悪い愚直なまでのやり方に映るかもしれませんが、
そこには数多くのお客様と接することで歩んでノウハウを蓄積してきた経験値と、
基礎知識を孤独なまでに積み上げてきた時間と研究の成果がつまっています。


他のお客様方の体内状況からも、
全身の体内の流れる液状の状況を読み取ると、
以前以上に継続的な変化が見受けられています。
そのときの脈状はメモをとりながらする時間を割くのは膨大なものとなるため数値化して遺しているものではありません。
ですが、いつかサンプル的にそのよな変化を調べてみたいと思っています。

 

さらなる研究をし始めているのです。

 


私がコロナ対策による臨時休業を決めたのは、

今年、癌で他界される直前までお見えいただいていたお客様がおられ、
コロナの影響で患ったときの特別なつらさを感じていたとのこと。
また先月に私の同年代のいとこが癌で他界したときも、そうでした。

コロナの影響で通常の病院での医療対応が困難になることで、
少なからず命が削られてしまった場面を体験なさっていたといいます。
またそのようなときを察することができます。

私としてはコロナの影響が増すことで医療崩壊状態が起きて、
多くの即、対応を求めたいという方々の苦境を。
病院で働く方々ほどではないにせよ、
接触れて聞くことも多くあります。

そのような方々の気持ちによりそう自分なりのできることが、
施術の臨時休業というのは本末転倒ということもあるでしょう。
でもちいさな一手を、自分なりに出していきたいと思うには十分のことを、
他界したお客様からもうかがっています。
本当に悔し涙を流してのことです。

 

 

今後の日本の行く先が、どのような着地点を見つけられるかは私たちの行動と流れ次第です。

私もせっかく構築してきた私の唯一の強みが発揮できなくなった状況がいつまで続くかわかりません。
そうなれば一流企業並みの体力はないので施術院としての継続は危ういことになるでしょう。


ただ施術で接することができなくなったとしても、
別の手段でお客様とかかわれることも考えだして、
いまの自分の手持ちの力でできることを積極的にやっていく変化の時代がきたのだと感じています。

 

ですがたったいまは、私自身の自分のからだづくりから。

テーマとして「職」に必要な上述の施術法の磨きをかけるのは継続します。

そして同時並行的に「」と同音で同価値である「」に気遣いつつ、
自身のカラダのパーツごとの要素を磨いて、
新たな発見を楽しみたいと思います。