セルフケアでは、効果が持続しないんだけど。。。施術者が、するとなぜ、施術による調整効果の持ちがいいの? その理由は「代償」を見抜いて解くから起こるのです

■ プロポーションの対称性と代償

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レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたバランスが取れた対称のウィトルウイウス的人体図
古代ローマ時代の建築家ウィトルウイウスの「建築論」の記述をもとにして描かれたものだ。
こまかいところは違っているざっくりしたイメージだが、こんな感じでも対称が見えるだろう。

建築論」といった人体像を建築物の制作をおこなうような意識で、
部位ごとの調和をもったサイズで描かれているのが印象的です。

構造上、強固でしなやかな建物であれば、そのプロポーションが全体の部位ごとの調和を持ってつくられるのは当然のことでしょう。
そうすることがなければ、その建築物は、早々に崩壊という憂き目にあうことが誰にでもわかるわけです。



ですが私も含め、皆様の体の実際の身体は、ウィトルウイウス的人体像とは異なるかもしれません。

脊椎の曲がり、骨盤の傾斜、両肩の不釣り合い、大腿部の捻じれ等々、
そこでのプロポーションは左右や前後・上下の対称性のバランスを乱したものとなり、
本来のバランスをとれた対称性が保つ設計通りにはなっていない現実があります。

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遺伝的な影響からもともと左右の手脚は精密には左右対称にできているとはいいがたい。
そこからすでに建築物のように寸を図り、ミリ単位で左右の部品を寸分たがわないようにできる建築物とは条件が異なっているのです。


右利きの人なら右手や右足を使う運動パターンをもって、運動負荷の左右の手脚のアンバランス状態を作ります。

体の背面の伸筋群を活かして筋肉の運動を連鎖させればいいが、
体の前面の屈筋群ばかりを使って筋肉の運動連鎖をおこしてなめらかかつしなやかに多くの筋肉を連携させて使えない状態の人もいます。

利き目が右なら、右目でモノを観ようとして首が捻じれます。

仕事やスポーツ、平素のとりがちな運動の仕方から癖のある運動をとり、姿勢がそれに影響します。




そのような結果、猫背、側弯症、怒り肩のような対称性を見失ったプロポーションとなります。

これらの姿勢は例えば建築家ウィトルウイウスの「建築論」に照らし合わせたならば、
構造上、柱や梁の設置に対し不都合を生じたものといわれるでしょう。
想像するならウィトルウイウス的人体から離れた建築物には烙印が押されるのと同様、
人間の体にもそのような不都合があると気づくことができるはずです。
ですが私たちは日常生活を送るうえで、建築基準法的に自分の体はまあまあしっかりしている、と思っている節があります。


不釣り合いな体の部分を持つといった建築的にはよろしくない状態にもかかわらずにそのことを、気づかないでいられます。
または気にしないでも暮らせるといってもいいでしょうか。



どういう理由かと言えば、人間には<代償>という働きを無意識下でなしているからにほかなりません。

一方の体の部位の状態がずれているならば、神経系を通して、筋肉、筋膜、関節などを協調的にずれた側のアシンメトリーな位置にずらしてバランスを取っているのです。

動物として生き続け活動を絶やさないためには、プロポーションの対称性の乱れていく進行が増していくとしても、代償がさらに大きくずれた側の反対側の同様な部位をずらしてバランスを取る。

顕著な症状として肩こりや腰痛その他の問題が出たときでさえ、自らの身体が代償によりつかの間の場当たり的安定が安心をあたえつづける。
バランスが乱れたプロポーションが代償を払って、身の症状が起こしているのだと気づくことができないよう、意識では探りづらく隠されてしまう。。。
自己の肉体的な関節の可動域やバランス、調和が乱れても、
あたかも自らのプロポーションの対称性は正しいように感じられる。


体がゆがみ始めた当初は違和感がありました。それはさぞやつらく厳しいものだったでしょう。
だが日が経つにつれ不具合も慣れてしまえば昨日の状態の骨盤が正常としか感じなくなる。
たとえそれがかなり深刻なゆがみが内在するように変わった後でもです。




代償が起きている場合、
「自らの体感覚はあてにならない」場合があるということです。





この代償作用が働いた結果、クールに自己客観視できる機会が得られない限り、
本来あるべきウィトルウイウス的人体から離れたままでいられるようになってしまった。



だから施術をする者は都合がいい。
他者目線でクールにお客様のプロポーションを分析してずれを見抜いていきます。

そして施術とはプロポーションを一次的にずらした原因部分を収めていくよりも、代償作用によってつくられた箇所。
お客様にして観れば盲点になる部位ですが、代償により作り出した凝りのほうが深層筋まで凝りや病が深部侵入をしている傾向があります。
そのことを把握しているならば、おのずとお客様がセルフケアに費やすところとは異なるところを手技で調整をしていくことがあります。
代償により生じた凝りのほうが筋組織の劣化が進んで代謝が悪化していることが多いのです。

するとおもしろいことがおこります。
施術で手技をするときにお客様が
「あのぉ、、、そこ、痛くないんで、コッチ、痛いんで。こちらを見てもらえますか?」
といったパスが跳んでくるのです。

そう感じるのは、上記で説明させていただいたような流れもあって、多くは屈筋群の速筋の痛みをお客様は認識され、
その部位の不釣り合いを調整するための「代償」に使われた左右の対になる部位の裏手になる伸筋の遅筋という痛みが鈍感な部分は気づかれていないことからおこります。

代償によりつくられた伸筋も炎症を持っていることがほとんどですから、手技を受けてはじめてそこの炎症に気づく人もいます。
なかには施術者が、不用意なところを勝手に触って痛くないところを痛くしたという誤解をなさる方も、少なくないでしょう。
そういう思いがでてくると、お客様の身がいきなり硬くなりだしますからこちらへと伝わってくることがあります。
そのような際は、はじめから代償について解説することもありますが、代償によりできた凝りを先行してといて主訴の部位の状態を確認してもらえば、苦痛と感じていた状態のレベルが改善されていることに気づくことができます。
そのように実践上でみせたほうが直感的に関連があるという事実がわかりやすいようです。



たとえば一次的には利き手側が右手であれば、その右手の腱鞘が硬くなって痛みを覚えることもあるでしょう。
それが代償により二次的に左側の腕の広くにわたる遅筋の伸筋は凝りが及びます。
すると伸筋群の特徴として筋断面が太さからこちらを凝らすと、この影響でカラダがゆがめられたままとなる元となっています。

代償により作り出された凝り。
これを的確に見抜いて手技対処をする考えで、施術をするかどうかで、その施術者の質が見えるものです。
代償によりできた凝りを放置すれば、早々に元通りのゆがみが現れます。
代償の凝りが深刻であったならば、そこを解かずにお客様が感じる慢性痛部分のみを解いたときはゆがみ率は元の状態より悪化します。
そういう点を踏まえておくとよいようです。


もう、おわかりですね。

施術者は、代償で作ったお客様の問題個所を解くから、
お客様が直感的に感じた痛みを湿布を貼る等をする以上の問題の改善につなげることができているのです。

陰でどのような働きをしているかということの一例が、この代償部位の発見と対処をすることです。