お客様からの問いかけでしたが、いい加減なことはいえないので、返答できませんでした。。。 m__m

お客様から、
「私の首筋の凝りは、大丈夫でしょうか?認知症になりはしないでしょうか。。。」
という疑問を投げかけられました。


質問をいただきましたお客様の頸部は、以前は左首の凝りが背中の影響があり芳しくない状態でした。鋼のような斜角筋や舌に関する筋群、胸鎖乳突筋が、それが代謝力が全身にわたってまんべんなく作用していただいた影響もあって、だいぶ状態が安定しつつあるという好転へ向かう変化の兆しが顕著です。
快方へ向かっていたときにかけられた質問は答えやすく、にんまりして「首凝りはいい感じですね!」と答えることができました。

首の筋肉と頚部血管の位置.png

ただ頸部の状態が直接的に認知症になる要因かどうかを判断するようなことは医学的になされていることではありません。そこは医師ではない私には答えられません。


首凝りと認知症の明らかな統計的な発症への因果関係がわかっているわけではないのです。

認知症についての研究は、現在進行形で医学界でも進められている事項です。
単純な頭部への血液を含め体液の流動性に着眼していくために頸部の凝りに着眼したものです。すべてがカバーできているようなものではございません。
参考となる可能性を秘めた着眼点のひとつという考え方が現実的でしょう。


実際のところたまたま私が観てきた認知症の方々の首筋の凝りが強くなっていただけかもしれませんが、
18名の方のチェックをさせていただいた際、頸部中程の凝りも気になりましたが、どなたにも頸椎第一への変位を促す凝りが見受けられたのが印象的でした。
施術をするものは一つずつ、自分の目と手で確認を積み重ねていき、独自の指標を持ちますが、正直に言えば、例が少なすぎて説得力はないというのが現状です。。。

ただ私が内々でお医者様から聞いた話では、という怪しい話ではありますが、頸動脈の血流低下と同時に頸部の静脈の血流が落ちることで脳内に脳神経が役目を終えて廃棄されるものがたまり出すといいます。

だから、、、そうなると頸動脈よりも外側にある頸静脈ですから、それは首の特に側方にある筋肉の凝りによって、さらに影響を受けシビアなものだといいます。
ならば頚静脈ではなく頸動脈をチェックするかというと、
静脈よりも動脈のほうが脈診の応用も利きますし、観察がしやすいので、そちらを使っているにすぎません。
本来は頸静脈の血流の状態をもっと気にして観察するほうが実体が見えてくるのかもしれません。



頚部の凝りがあったといっても、頸動脈等の状態が違えば結果も異なります。
たとえば、きびしい首凝りではなく軽微な凝りとしても、もともとの頸動脈の脈管が細く軟弱であれば、さほどの凝りがなくても危険性はあるものです。
対して、頸動脈の脈管が太くたくましい形状で形態に強さがあれば押しつぶされにくい。そのときは首凝りが多少あっても脳や頭部への血流は確保できているようです。

頭部の血行状態の良否は他の条件もあるでしょう。
たとえば、頭部の頭蓋骨が縫合部位で変位が生じて呼吸にあわせた律動が起きなくなることで、頭部の内部には脳脊髄液がたまって脳を圧迫する。それは脳内の血流の阻害に影響することにもなるため、チェックは欠かせない。

他には、脳の働きが敏感に活性する人は、ストレスを多めに感じてしまう傾向にあります。
そのような繊細な人ほど「ストレス脳」と呼ばれる脳の中心部に血液が集中して外縁は血液が足らない状態に陥ってしまいます。
これでも脳内の血流阻害にもつながり悪影響を受けるだろうといわれます。
※ このパターンの方は、会話中など目の瞳孔の開閉を観察して読みとることができるときがあります。
※ 脈を診るとき、緊張性反射で脈が強まる人がいますので、その方も過剰なストレスを感じやすい可能性があるなと感じています。
もしもご自身が過度にストレスを敏感に感じ取る傾向が顕著だと感じるときは、抗ストレス作用のあるハーブ等を1っかげつほど試して様子を見てみることをお勧めいたします。
そのほかにも有力と思える推測する事項は多数存在しておりますので、
そのような見分けるノウハウを蓄積増やして、自分なりの見方を模索しています。



もちろん冒頭でいいましたように、医師ではないのでお客様に直接勝手な解釈をした内容をお話しすることはできません。


「なーんだ、それじゃ、お客様の自分たちには、何らメリットもなさそうじゃないか」と言われそうですね。
でも口で説明することはできなくても様々な危険因子と思われるものは、施術中に対処しています。
それにより、たとえば上記の絵の胸鎖乳突筋や斜角筋等の頸動脈の圧迫を強いる部位の凝りなどは、
丁寧に取り除いて解放するように時間をかけています。
首の問題があるんだとお客様が積極的におっしゃられるときもありますが、
ほぼ8割方のお客様は、こんなところになぜ、こんな凝りがあるのか?!という感想でしょう。
手技でアプローチを受けて状態に気づいたということとなります。


また認知症の発症にこだわるっていっても、なんら権限等がない身分です。
そこまでやらなくてもいいだろうと同業者の友達から言われることもあります。
ですが個人的な考えでは、最初から自分の領分ではないとして扱わないですまされる問題ではないような気がしています。
今後の認知症初期のお客様も増えるということは、認知症専門医が公言していますが、統計的にもその資料を集めれば深刻さは増しております。
そのような点での対処の重要性が、今後、増していくだろうということです。
ならば後になって調べるよりも、先々に勉強しておいたほうが違いが出てくると思います。
(実際は、資料を集めた結果、すでに悠長なことを言える時期ではないような気がしています。)

とはいえ私という個人が手持ちの得意分野や関心あるところから手を伸ばしていくというやり方で終始させるつもりですので、
要領の得ない着想や対処調査のときも多々あって。
重箱の隅を突っついて成果が上がらないときもあります。
ですが研究心を貫き持っていれば、少しずつ自身を説得できるようなヒントが目に付くようになるわけです。
目的意識を明確にして観察をしなければ、人間の意識は重視すべき情報ではない無価値なものと判断して、目には写っても脳に必要な情報として書き込まれず流れてしまうでしょう。
自分の脳に「これが価値があるんだぞ!いいな!わかってるよな!!」と言い続けることです。
それさえできれば、私は願いはかなうと考えています。
どんな人でもきわめて優秀な脳の力を保持しており、それを発揮して解決の糸口をつかめるものです。
考えるためには自分の手足を使って経験で稼ぐ情報の量を必要とします。
それを膨大にためていくことで骨董屋が名品を数観て眼力を磨くと同様な眼力が観に備わります。
観る量とは、意味内容を吟味して理解するということです。
皮膚感覚を通して咀嚼した知識は直感的にわかる、スポーツ選手が一瞬をとらえて判断するのと似たことが起こります。
経験でえた咀嚼された情報を脳内に蓄積し、意味関連付けができるよう寝かせ、複雑な情報処理をおこなえるようになった状態のことを直感が働くといいます。
そこにはいい加減さを含めることはありません。

楽をせず、自分の興味関心を持った点に注力して苦労するほうが、自分には向いているような気がします。
中途半端なことをするのは損をしているように思えて楽しくは感じられないのです。





そのようなことをいう私自身、脈診が少しずつわかってきて、自身の頸動脈を診て「これは物忘れが悪くなってくるわけで、脳内が深刻な状態になっているのは否定できない。。。」と知ることになって愕然としたとき。
対応策を模索しようとしたときには、熱が俄然、増し増しになり研究が進みました。
「昔好きだった芸能人の名前は普通に覚えていても、脇役の俳優の名前等、ごっそり記憶のなかから抜け落ちてるぞ。。。」
そのようなことで、危機感を感じたのが発端で、自身の記憶と集中と認知を絡めて探り出そうとしたのがきっかけでした。



施術で手技を練ってみても自分に対しておこなえるほど器用なものではないし、手技でどうにか一時的にリセットしたとしても、その奥の凝りが根っこになっていれば早々に元に戻ろうとするいたちごっこ
特に私自身の首凝りの深層部は課題が山積、危機があおられるだけの問題がありました。。。
手技でリリースは、頭部という巨大な重さを持つパーツが最頂点に乗せられた人間には、首凝りが作り出されやすい宿命があります。

首の後ろにある項靱帯という靱帯が効いた状態で日常生活上で立てている人たちが、私を含め、いかに少ないことか。
もしかしたら項靱帯を使って立った感覚を味わったことがなかったという方も多いでしょう。。。
手の内の研究が発端で首の現状を大幅改善をかなえてくれたのです。
あきらかに私自身、想定外の幸運!!


「手を前足と見て使う気づきと実践がなければ、どうなっていたことだろうか?」
手技と栄養だけでは、対処上の手薄感が否めなかった私には、真剣そのものでそう感じてしまいます。


加えて言うならば「認知率を改善するには、普段慣れていない複雑な運動を取り組むと良い」とされていますから、
そのような意味でも、手の内の研究と実践、そして進化は、大変理にかなった脳への刺激にもなったといえるでしょう。
使い慣れていない筋肉を細分化して使うことで、腱鞘炎や筋肉痛はいまでもあるものですが、いままでついたことがなかった使うべき理想の部位に筋肉が育つ感覚は、得難い楽しみです。




認知症対策のために育てているゴツコラ。。。
ゴツコラ畑2.png

ゴツコラの性格がわかってきて、安定的に独自のうまい育て方ができるようになりました。
最近は、2階の窓辺にて、100円均一のキャンドゥで買った小ぶりの容器で育てるようにしています。
すると身近で採取が楽で完全無農薬、害虫もブロックでき、ゴツコラの葉は小さいですが新鮮そのものをいただけています。
すると、、、不思議と脳の働きがアップしてるような気がします。
食べるIQといわれるゴツコラで、健脳食として育てていますが、日々、残暑のなか勢いよく育ってくれる丸い葉のゴツコラをみると、こころがほっこりする。栽培して育つ姿にストレスが消えて気持ちが丸くなるような気がします。
残念ながらゴツコラだけでは、代謝が停滞する状態が高い方々には十分な成果が得られるようなものではないでしょう。




というわけで。。。
いまだ、私自身、認知症対策って自分なりに考えてどういう手があるか。
手探りで試行錯誤をしています。
だからお客様にこの状態は脳への血流が減っているようですという首凝りにより頸動脈の血の通りが阻害されているかどうかは見えても、認知症になるかどうかなど、お答えすることはできないのです。

申し訳ございません。




私自身への認知症対策の骨子、「栄養、運動、施術による手技」の3つを有効にあわせていくことで、おぼろげながら打ち手がみえてきました。

一般的な認知症対策とはかけ離れた独自路線ですが、たとえミスっても責任は自分の身でとることですから、そこはご容赦をお願いできればと思います。
今まで身体の使い方を模索してぼろぼろになって長期休業を繰り返してきた施術での負の状態は、たぶんに私の脳に悪影響として積まれてきている自覚があるのです。
自分なりに合理的な手として考えたものを実践し、トライ&エラーから磨きをかけていくことで、自身がどう変わるかを、いま、自身の身体で実感し経験値を高めようとしているまっただ中です。
科学的な調査とはなっていないという自覚はありますが、身体の仕組みや働きの理解を深めるためのきっかけになってくれているようです。


またもし仮に、今後、自己の体験を通して得られた成果があれば、
いずれ、それは参考までにということで、興味のある人にはお話しできればうれしいと考えています。