昨日書かせていただきましたブログ『 [若い人は癌の進行が早いって、どういうことでしょうか?]』 https://bodywise-note.seesaa.net/article/520963085.html
こちらの続きとなります。
虚証であれば正気が少ないが邪気を増やさないよう養生をして、邪気を増やして勢力を盛り返させないようにすれば体内への病の進行が急激にはならない、つまり〘虚証はゆっくりと崩壊する〙とお伝えいたしました。
ここでひとつ、疑問。
ならば虚証の対処をあせらなくてもいいんじゃないか?
半分正解、ただ半分不正解。
それは虚証から実証に部分的な転換が起こり得るからです。
慢性的な虚証体質の方は、気や血が足りない状態で生活を送り続けており、なかなか全身に足りない気血津液が補えずにいる状態です。
すると全身の気が足らずに血の巡りが滞ります。
自然界の川の流れも水量が適量あって流れがスムースなら苔むすこともありません。
ですが水量が減ってしまうと川底に泥が沈殿して溜まるし苔むし水流の速度が遅くなります。
体のなかの血管内も血の量が減り流れが遅くなれば沈殿物がたまりだし、血の通り道が詰まらされて巡りが停滞します。痰が血の巡りを阻害して血瘀ができて巡りの閉塞の度合いが増していった状態です。こうした停滞箇所の出現は部分的に血が濃くなる実証箇所を作り出してしまうのです。
全身的な虚実のチェックをしたら虚証と判断できる方でも、虚証と同時に部分的に実証ができて混在した状態が現れてきます。こうした根本は虚の状態だが痰瘀などにより実の激しい症状が現れることを虚実交雑内の本虚標実と呼びます。
すると邪気が勢力を高めた実証箇所の病の進行は虚証のゆるやかさとは異なり、進行が早いため注意が必要となります。
そういったこともあると配慮すれば、弱い虚証ならまだしも虚証が強ければ、積極的な対応が求められるのではないでしょうか。そうなると、やはり先天の精の残りがたくさんある若い層の虚証の方は、注意が必要と考えられるのかと思われます。
ちなみに「虚実交雑」の臨床的な捉え方
虚実が入り混じっている状態では、以下の三つのパターンを見極めることが治療の第一歩となります。
■ 本虚標実〘特徴〙根本は「虚」だが、現れる症状は「実(痰瘀など)」が激しい。【対応の基本方針】扶正(補う)を主としつつ、去邪(除く)を兼ねる。
■ 本実標虚〘特徴〙根本は「実」だが、長期化により「虚」が顕在化している。【対応の基本方針】去邪(除く)を主としつつ、扶正(補う)を兼ねる。
■ 虚実錯雑〘特徴〙虚と実が同程度に深く絡み合い、分離が困難。【対応の基本方針】攻補兼施(同時に行う)または、時期を分けて交互に行う。
最後に、余談となります。
私の母は膵臓がんで他界しましたが、終末期医療において、自宅から病院に通い点滴を受けて営養の不足を補っておりました。私は当時、こうした終末期での点滴による延命による背景を存じ上げず、口からものを摂ろうとして苦しむのですから、点滴に頼るしかないという思いでした。
他界する3日前に、我慢強い母が死なせてほしい、もう生き続けられないと訴えてきました。癌毒による不快は、強い麻薬成分を持つ薬で抑えられていますから、それ以外の苦しみです。
他界した直後に、その理由がわかりました。
他界した次の瞬間から1時間以上も口から途絶えることなく、水分が出続けていました。異脾は水がたまり、脾に水があれば肺に送られ肺内部も水が溜まっていたのでしょう。
母はがんの苦痛で耐えられなかったわけではなく、健康ならありえない状態で脾が湿り肺が水没し、水底の深い場所で溺れ苦しんでいたことをことを知りました。
筋膜リリースに関しては、徹底して調べてきたし、他ではできない治せないものも対処法も独自に考案してきました。ですががんの終末期医療についての具体などは、仕事の範囲の外と考えてきて、些細なことから大切なことまでわからないことだらけであったと感じています。
ですから母が苦しんでいた真の理由がわかってあげられず、言葉でつらいんだね、苦しみ続けなくていいようにお医者様に私から伝えるから。となにを頼めばいいかさえわからずに力強く約束をして母をなだめていました。その言葉を聞くと母は、少しだけ安堵した表情に変わりました。
母の死後となりましたが、そのとき思ったんです。
自分にとって勝負に必要な最低限の学びに留めることは効率がいい。時間も労力もセーブできる。対して頭の中で心配性なほどシミュレーションを繰り広げて先々を想像して手を打っていくと、ほとんどの学びは徒労に終わりますし、最悪を思い描いたほどのことは起こらなくてすむことがほとんどです。
ですが、こうしたコスパが悪くて誰からも御駄賃がもらえない心配性過ぎる多種多様なシミュレーション結果から対策を考えたとき、知的な足腰の強さが養われてコスパを重視しようとしたときとは違った深さの力が養成されるように感じました。
結果的に、今回、中医学の勉強をし始めたときに教材通りに学ぶところもありましたが、そこを逸脱してあーなったらこうなって、するとこれは?と一人でぶつぶついいながら教科書には乗せられていない臨床に即した部分についての研究の両方をするようになっていました。試験範囲をすっきり頭に入れる勉強は、どちらかというと二の次に考えて、自分にとってのいいものにめいっぱい時間を割いてしまったようです。
試験向きじゃない勉強をしてきたのは事実で、今頃になって、ちと、気持ち的に焦りだしてます。😅
こちらの続きとなります。
虚証であれば正気が少ないが邪気を増やさないよう養生をして、邪気を増やして勢力を盛り返させないようにすれば体内への病の進行が急激にはならない、つまり〘虚証はゆっくりと崩壊する〙とお伝えいたしました。
ここでひとつ、疑問。
ならば虚証の対処をあせらなくてもいいんじゃないか?
半分正解、ただ半分不正解。
それは虚証から実証に部分的な転換が起こり得るからです。
慢性的な虚証体質の方は、気や血が足りない状態で生活を送り続けており、なかなか全身に足りない気血津液が補えずにいる状態です。
すると全身の気が足らずに血の巡りが滞ります。
自然界の川の流れも水量が適量あって流れがスムースなら苔むすこともありません。
ですが水量が減ってしまうと川底に泥が沈殿して溜まるし苔むし水流の速度が遅くなります。
体のなかの血管内も血の量が減り流れが遅くなれば沈殿物がたまりだし、血の通り道が詰まらされて巡りが停滞します。痰が血の巡りを阻害して血瘀ができて巡りの閉塞の度合いが増していった状態です。こうした停滞箇所の出現は部分的に血が濃くなる実証箇所を作り出してしまうのです。
全身的な虚実のチェックをしたら虚証と判断できる方でも、虚証と同時に部分的に実証ができて混在した状態が現れてきます。こうした根本は虚の状態だが痰瘀などにより実の激しい症状が現れることを虚実交雑内の本虚標実と呼びます。
すると邪気が勢力を高めた実証箇所の病の進行は虚証のゆるやかさとは異なり、進行が早いため注意が必要となります。
そういったこともあると配慮すれば、弱い虚証ならまだしも虚証が強ければ、積極的な対応が求められるのではないでしょうか。そうなると、やはり先天の精の残りがたくさんある若い層の虚証の方は、注意が必要と考えられるのかと思われます。
ちなみに「虚実交雑」の臨床的な捉え方
虚実が入り混じっている状態では、以下の三つのパターンを見極めることが治療の第一歩となります。
■ 本虚標実〘特徴〙根本は「虚」だが、現れる症状は「実(痰瘀など)」が激しい。【対応の基本方針】扶正(補う)を主としつつ、去邪(除く)を兼ねる。
■ 本実標虚〘特徴〙根本は「実」だが、長期化により「虚」が顕在化している。【対応の基本方針】去邪(除く)を主としつつ、扶正(補う)を兼ねる。
■ 虚実錯雑〘特徴〙虚と実が同程度に深く絡み合い、分離が困難。【対応の基本方針】攻補兼施(同時に行う)または、時期を分けて交互に行う。
最後に、余談となります。
私の母は膵臓がんで他界しましたが、終末期医療において、自宅から病院に通い点滴を受けて営養の不足を補っておりました。私は当時、こうした終末期での点滴による延命による背景を存じ上げず、口からものを摂ろうとして苦しむのですから、点滴に頼るしかないという思いでした。
他界する3日前に、我慢強い母が死なせてほしい、もう生き続けられないと訴えてきました。癌毒による不快は、強い麻薬成分を持つ薬で抑えられていますから、それ以外の苦しみです。
他界した直後に、その理由がわかりました。
他界した次の瞬間から1時間以上も口から途絶えることなく、水分が出続けていました。異脾は水がたまり、脾に水があれば肺に送られ肺内部も水が溜まっていたのでしょう。
母はがんの苦痛で耐えられなかったわけではなく、健康ならありえない状態で脾が湿り肺が水没し、水底の深い場所で溺れ苦しんでいたことをことを知りました。
筋膜リリースに関しては、徹底して調べてきたし、他ではできない治せないものも対処法も独自に考案してきました。ですががんの終末期医療についての具体などは、仕事の範囲の外と考えてきて、些細なことから大切なことまでわからないことだらけであったと感じています。
ですから母が苦しんでいた真の理由がわかってあげられず、言葉でつらいんだね、苦しみ続けなくていいようにお医者様に私から伝えるから。となにを頼めばいいかさえわからずに力強く約束をして母をなだめていました。その言葉を聞くと母は、少しだけ安堵した表情に変わりました。
母の死後となりましたが、そのとき思ったんです。
自分にとって勝負に必要な最低限の学びに留めることは効率がいい。時間も労力もセーブできる。対して頭の中で心配性なほどシミュレーションを繰り広げて先々を想像して手を打っていくと、ほとんどの学びは徒労に終わりますし、最悪を思い描いたほどのことは起こらなくてすむことがほとんどです。
ですが、こうしたコスパが悪くて誰からも御駄賃がもらえない心配性過ぎる多種多様なシミュレーション結果から対策を考えたとき、知的な足腰の強さが養われてコスパを重視しようとしたときとは違った深さの力が養成されるように感じました。
結果的に、今回、中医学の勉強をし始めたときに教材通りに学ぶところもありましたが、そこを逸脱してあーなったらこうなって、するとこれは?と一人でぶつぶついいながら教科書には乗せられていない臨床に即した部分についての研究の両方をするようになっていました。試験範囲をすっきり頭に入れる勉強は、どちらかというと二の次に考えて、自分にとってのいいものにめいっぱい時間を割いてしまったようです。
試験向きじゃない勉強をしてきたのは事実で、今頃になって、ちと、気持ち的に焦りだしてます。😅