カルロス・カスタネダというとスピリチュアル系統に関心が深い方ならばご存知かもしれません。
カルロス・カスタネダはブラジル生まれのアメリカの作家。
その著書とされる本には、UCLAで文化人類学を学び、
ヤキ・インディアン呪術師ドン・フアン・マトゥスの下で修行するとあります。
書中の本文を思い出しながら書きますので、
ちょっと文面は違うのを了承ください。
カルロス・カスタネダは彼の師に、
あるものたちと命がけで対峙するよう命じられました。
日々格闘です。
あるもののひとりを倒せば、
またさらに強力な相手があらわれる。
厳しい状況で命を失うかどうかの格闘。
師にたずねました。
「今日の戦いでは相手に本当に負けそうで命を失うところでした。
いったい相手は会うたびにどうしてより力が強力になり、
より賢くな者になるのでしょうか。」
すると師が答えました。
「相手はつねにお前の力量に相当するものしか現れてはいない。
お前が強くなれば相手も強く賢くなる。
そしてまた命がけの死闘を繰り返し、
もしお前が手を抜けば相手に負け死ぬだろう。
だが同等の強さだから努力しておれば勝てない相手ではないのだ。
だから相手がより手ごわくなっていくように感じられているのは、
いい兆候だということだ。」
というシーンがありました。
ものごとを学び身に着けていく過程や仕事をする際にも、
まったく同様の闘争を日々しているかのように感じます。
おそらく自分の目に写る相手は自分の分身のようなもの。
それが自分に共鳴しひきつけられやってくるのでしょう。
そのように考えれば、
かかわりあう相手が手ごわさをましてきたときこそ、
自分の成長にいい兆候がでているのかもしれません。
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私の個人的な問題ですが、
ここ昨今してきた施術の方法。
自分の人体を理解したイメージを的確に反映させていきました。
そのため施術者の体に対しかかる負担を強いても
施術法を生み出していくのを優先させてきました。
おかげで自分なりに成長のいい兆候がみえた側面もあります。
まだ格闘の先は長いでしょう。
ですが施術の本質というもののさわりが感じ取れるようになりました。
それは大きな成果です。
毎週ごとに目に映る人体のイメージがより深化して把握できてきた。
つらい死闘の繰り返しという面は
カスタネダ氏の修行の感じと気分的に共感いたします。
と個人的に納得していました。
ただちょっとやりすぎると本当に施術をするものの体を壊します。
今回の私は腎経と膀胱経を危険なレベルまでダメージを与え続け
疲労が蓄積されていきまして。
疲労分を日々減らすように対処しても、
減らす分よりも増える分が多くなれば。
まずいところまできていました。^-^;
研修期間中にそちらの状況を回復させようとも考えています。
ただ一度でも目的のゴールにたどり着き、
その地を得たならば、
次はゴールに着く道を選べるようになる。
曲がりくねった遠路も、
近道がそこにあるということもよくある。
最初から近道を人に聞くことは避け続け、
自分の進むべき道を見つけられる。
そういう考えもあります。
目的地を鳥瞰して確認できれば、
その近道を見つけられるはず。
今は近道という別の道も模索してます。
近道を見つけられれば施術を再開させることができます。
そのときにより多くの方の対応が可能となります。
そこまで持っていくのが、
数十年来の私の計画です。
施術や体に使い方の研究で得られた暗黙知を書き出したり、
溜め込んだ書籍から要点を抜き出したり、
施術風景をビデオで撮影して観察したり。
それに解説法を、
一般の方にも質量のあるものを手で触れる感触のような
わかりやすいものにするよう工夫してみたり。
そんなことをしています。
「一日って本当に短いな」
今はそんななか野口整体の野口晴哉先生の著書を数冊、
精読しようとしています。
回想の野口晴哉 ちくま文庫(の-7-3) は施術の本ではないのですが
近衛文麿の長女として生まれて野口晴哉先生と結婚なされた野口 昭子氏が
記された一般の方が読んでも非常に面白い著書と思います。
なんらかのヒントが
ここにあるという直感が働きまして。
いまいろいろと読み返しています。